#mmt18 Mastodon Meetup at Tokyo参加報告 | LTLこそがMastodonの本質なのか?を読んだ。このsenookenの記事では、「おすすめユーザー」機能の導入に反対しているように見える。私の立場はある意味では中立的で、フェアな「おすすめユーザー」なら導入するべきであるし、アンフェアな「おすすめユーザー」ならば導入しないほうがいい、という意見である。
レコメンデーション・フェアネスというアイディアは、当初は文字通り、ユーザーレコメンデーションのフェアネスを意味していた。しかし、現在は、ユーザーディスカバリーメソッドのフェアネスとして理解すべきだと考えている。ユーザーディスカバリーメソッドは、未知のユーザーを発見するために利用できるすべてのものである。「おすすめユーザー」パネルのようなわかりやすい形をしたもののほかにも、例えば、マストドンのタイムライン (ホーム、連合、ローカル) も、ユーザーディスカバリーメソッドである。また、自動化されていない、人間が他のユーザーを推挙する行為、senookenの言う「自分が信頼できること、所属するコミュニティなどから口コミ、人づてにたどっていく」行為も、ユーザーディスカバリーメソッドである。だとすれば、これまで挙げてきたすべてのユーザーディスカバリーメソッドについて、アンフェアネスを検討する必要がある。
人間が他のユーザーを推挙する行為のフェアネスは、結局のところ、その人間の心がけ次第である。とはいえ、人間たちの行動を、統計を通して理解することはできる。過去に#followfridayハッシュタグを分析したことがあるので、改めてそれを見てみよう。
#followfridayハッシュタグにおいても、すでに多くのフォロワーを獲得している、悪く言えばインターネットセレブたちが、推挙されやすい傾向にあることがわかった。しかしながら、here is a list of people that I follow and have fewer than 100 followersという定型句に象徴されるように、意図的にフェアなレコメンデーションを行おうとする運動も見られた。両者を相乗平均すると、アンフェアネス値は穏当な値になる。
英語圏においては、リベラルなアーリーアダプターたちが、here is a list of people that I follow and have fewer than 100 followersのような運動を始めることがある。日本語圏では、このような動きはあまり期待できない。「所属するコミュニティなどから口コミ、人づてにたどっていく」という行動が普及してしまった世界では、そのような人の輪から外れた人が、永遠に安息の地にたどりつくことができない。「永遠に」は言い過ぎにしても、スタートラインをかなり遠くに設定されてしまうことだろう。
人間によるアンフェアなユーザーディスカバリーメソッドを避けることができない状況においては、自動化されたフェアなユーザーレコメンデーションを導入することで、その状況を緩和する必要がある。もちろん、自動化された、なおかつアンフェアなユーザーレコメンデーションは最悪である。自動化も悪くないということを人間たちに納得してもらうには、まだまだ長い時間が必要になりそうだ。