「……しかし、筆者にも覚えがある。それまで必要としなかった、それゆえに自分が持たなかったものが、いざ必要となったときにたまたまそこにあって、しかもそれは自分ではない他の誰かがなんの気なしに用意してくれたものだった、ということが」
「筆者にとって『パブリッシングの民主化』とは、自分のなしたことがいつかどこかで誰かを救うかもしれないという、祈りにも似た行為だ」
私にとって「パブリッシングの民主化」とは - Capital P
https://capitalp.jp/2019/01/07/a-small-good-thing/
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Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Tuesday, 08-Jan-2019 13:15:01 JST Niceratus Kiotoensis
- ⇔ Satoshi Kojima ⇔ repeated this.
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Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Tuesday, 08-Jan-2019 13:20:22 JST Niceratus Kiotoensis
何かを書いて公開するとき,実際の意図であれ単なる装いであれ,自分自身のための備忘録という体裁をとることが少なくないが,一方で「それがいつか誰かのためになるかもしれない」という期待がそこには伴っていて,どうしてそういう期待が発生するかというと自らがこれまでに幾度となく「いつか誰かの書いたもの」に助けられてきた自覚があるからなんだろうな.
In conversation permalink -
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Tuesday, 08-Jan-2019 13:21:45 JST Niceratus Kiotoensis
「自分のための備忘録」において想定される時を隔てた後の自己というのは不特定性の高いある種の他者でもあるので,自己本位という一方の極が,時間と空間を超越した公共というもう一方の極とつながりうるのかもしれない.
In conversation permalink xanac repeated this.