京浜東北線の関内駅で待ち合わせて、私と電飾さん、それにあと2人のインターネットの友人たちと会うことになった。私と電飾さんは初対面だった。電飾さんは寿町のあたりに住んでいて、炊き出しに参加することもあるらしい。私たちは横浜公園を抜けて、海沿いを進んだ。
海沿いの小さな広場では、東日本大震災に関連して、何らかの団体が、小規模な演説会を行っていた。演説の内容は、断片的にしか聞いていないが、それほど党派的な主張ではなかったように思う。ここで、電飾さんの様子がおかしくなりはじめた。体を縮めて、怯えているような表情を見せた。
私は逐語的に発言を記憶することはできなかったが、電飾さんは、「自分たちが正しいという話し方をする人たちが怖い」というようなことを言ったように思う。続いて「私の母もこのような話し方をする」「私たちの家族は安倍政権に壊された」「父は私を殴る」と言った、かもしれない。
それからしばらく海沿いを歩いて、観覧車が見えてきた。電飾さんは、観覧車に乗りたいと言った。電飾さんは純粋に観覧車が好きなだけかもしれない。けれども、私は勝手に、政治や家庭といったどうにもならない苦しみを乗り越えようとする、祈りのような心の働きを、観覧車を見てはしゃぐ電飾さんに見て取った。
別の参加者と待ち合わせるための時間的な制約というような、とても退屈で取るに足らない問題のために、私たちは観覧車に乗ることができなかった。私たちのいた場所と、観覧車とは、運河で隔てられていて、まっすぐに観覧車のもとに向かうことができなかった。私は運河の柵に足をかけて、ここを泳いで渡る、もしくは、この場で4人で海に沈んで死のうと言った。
私たちは、海に飛び込むことはやめて、運河の柵を背もたれにして、地べたに座り込んで話した。私は電飾さんに、政治的な団体が演説しているのを聞いて動揺していたのが印象的だった、と話した。そして、「私たちが政治的なことで争ったり、それによって苦しんだりしないように、単独の指導者か党のもとに、人々は団結すべきだろうか?」と聞いた。
私は、この質問をしたことを後悔している。この質問は、電飾さんをひどく苦しめたかもしれない。しかも、それは、私の興味と関心から、私がその答えを知りたかったという、利己的な動機から出ている。
もし電飾さんが、その通りだ、国が正しい答えを決めて国民を従わせてほしい、と答えたら、どうだろうか? 電飾さんの苦しみは、本当に深刻で、切迫した脅威である。電飾さんには、このような回答を選択するだけの正当な資格がある。ただ、これは私の望む答えではないし、これが私の望む答えではないということを、電飾さんは分かっていたはずだ。
電飾さんは、自由な社会においては、さまざまな考えを持つ人たちが自分の意見を表明するべきだ、と答えた。私は泣いてしまった。まず、私の質問が、あまりにも一方的で、電飾さんの深刻な苦痛をわざわざ掘り起こすものであるばかりか、私の望んだ通りの答えを、暗に押し付けてしまったようにも思われたからである。しかし、それとは別に、電飾さんが、自分自身の苦しみや、家庭の問題にもかかわらず、勇敢に、自らの信じる道を進もうとしているようにも感じられた。
切迫した苦痛のなかにある者に、なおも勇敢に運命に立ち向かうことを求めるのは、とても残酷なことだ。ひるがえって、私はせめて、会話の中で唐突に泣きだしてしまったときの心の動きを、釈明する義務がある。