プリキュア劇場版を観て泣いていた。情報量の多さに脳が破壊されていて、受け取ったものをうまく言葉にできない。地獄のモチーフとそこにつながれた魂をどのようにして救うのか?という宗教寓話だ。
今回のプリキュアは躊躇う。立ち止まる。悩む。人々が正論と正義を振りかざしているときに、一人で冷静になって考える。共感する。他者の痛みを理解しようとする。とどめを刺そうとする仲間に向かって「待って!」と言える。
おおくの人々はアクションシーンこそがプリキュアの魅力だと考えているが、個人的には、躊躇う力の方にプリキュアの本質が宿っている。アクションはプリキュアの超常能力だが、悩み、立ち止まり、自らの抱いている正当性を疑うことは人間にしかできないからだ。そのときにはプリキュアはプリキュアではなく、一人の人間として過酷な戦いと対峙する。プリキュアであるまえに彼女たちは人間だからだ。そして人間であり続けると言うことが、プリキュアにとどまり続けるための条件である。人間ではなくなったら、力はただの暴力になる。
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仏教的虚無(Maborotopia) (metsa@framapiaf.org)'s status on Monday, 11-Mar-2019 21:17:45 JST 仏教的虚無(Maborotopia)