これはそうで、だから私は、「そもそも大学は~」って話をよくやってる。基本的に、情報の非対称性の問題だと思ってるので。
そもそもとして、学位というのは、国際的に通用する(通用してしまう)称号なので、日本の国内事情で勝手な事はできないし、それをやってしまったら、日本で認定された学位全てに疑義が生じてしまうのでマズいのよ。実際、お金を払えば学位を出すっていう大学が国際的に問題になってるし、そういう大学の学位は学位として認めないっていう機関も多い。
これはそうで、だから私は、「そもそも大学は~」って話をよくやってる。基本的に、情報の非対称性の問題だと思ってるので。
そもそもとして、学位というのは、国際的に通用する(通用してしまう)称号なので、日本の国内事情で勝手な事はできないし、それをやってしまったら、日本で認定された学位全てに疑義が生じてしまうのでマズいのよ。実際、お金を払えば学位を出すっていう大学が国際的に問題になってるし、そういう大学の学位は学位として認めないっていう機関も多い。
@TaiseiMiyahara 初等・中等前期後期教育も、もっと見直す必要があるということでしょうか?
@TaiseiMiyahara その辺りは僕も大いに問題だと思います。同じことは高校受験にも起きていて、中学校3年間が高校進学のためのみに使われてしまっているところがあります。文科省の学習指導要領の小中高共通のキーワードは「主体的で対話的で深い学び」です。初めは「アクティブラーニング」と言っていましたが、特定の指導方法を差すものでないということで、先のものに言い方が変わりました。いろんな議論があると思いますが、制度的に言うと高校受験をなくし、中高一貫教育にし、大学も共通テストを廃止し、各大学がおのおのの基準で学生を自由に選抜する、これが必要だと考えています。これに一番反発するのはたぶん現場だと思いますが。
@toneji そっちは専門ではないのでなんともですが、少なくとも、進路指導はちょっと再考の余地があるように思います。とくに進学校の進路指導では、生徒をやみくもに偏差値の高い大学へ送り出そうとする傾向があり、そもそも進路先として大学とはどういう場所なのかというレクチャーなどが足りてないように感じられ、それが大学入学後のミスマッチ(学科の選択を含む)の要因のひとつになっているのではないかと。
senooken JP Social is a social network, courtesy of senooken. It runs on GNU social, version 2.0.2-beta0, available under the GNU Affero General Public License.
All senooken JP Social content and data are available under the Creative Commons Attribution 3.0 license.