グレース・マレー・ホッパー (Grace Murray Hopper, 1906年12月9日 - 1992年1月1日) は、アメリカ海軍の軍人かつ計算機科学者。75歳で退役、最終階級は准将。ハーバード マークIの最初のプログラマーの一人であり、プログラミング言語COBOLを開発した。愛称はアメージング・グレース。有名な「人は変化に対してアレルギーがあります。あなたは外に出ていってアイデアを売りこまなくてはなりません」という言葉で知られる。
経歴
グレース・ブリュースター・マレー(Grace Brewster Murray)としてニューヨークに生まれ、1928年にヴァッサー女子大学を卒業。イェール大学大学院に進み、1930年に数学と物理学の修士号を取得。同年にヴィンセント・ホッパー(1906年-1976年)と結婚(1945年に離婚したが、彼女はその後独身のまま夫の姓を生涯名乗り続けた)。1934年には同大学院にてオイステイン・オアの指導のもと、女性初の数学の博士号を取得。1943年までヴァッサー女子大学助教授として数学を教えた。1943年、海軍予備役に入り、1944年には中尉となる。同年よりハーヴァード大学に勤務し、ハワード・エイケンのもとでコンピュータ「ハーバード マークI」用のプログラム開発に携わる。
戦後も引き続きハーバードにて「マークII」、「マークIII」(マークIIIはプログラム内蔵方式計算機である)の開発に参加したが、この間に後に有名となるバグにまつわる逸話が生まれている。あるとき、マークIIのリレーに蛾が挟まって機械が作動しなくなった。この蛾は作業日誌に貼り付けられ、「実際にバグが見つかった最初の例」(原文は "First actual case of bug being found")とホッパーは日誌に書き込んだ(現在、この日誌はスミソニアン博物館のナショナル・ミュージアム・オブ・アメリカン・ヒストリーに収蔵されている)。ホッパーは後々この出来事を好んで語ったため、プログラムの不具合を意味する言葉としての「バグ」という用語が広まることとなったとされる(「バグ」という言葉は元々、電機関係の不具合を指す言葉として使われていたものであった。その起源はOEDによれば世紀単位でコンピュータより古い。コンピュータ関係の不具合について使われるようになった理由として、初期のコンピュータが昆虫を原因とする接触不良、短絡、絶縁材が喰われた等で故障や誤動作したため、といった説が語られることがあるが、前述したように「実物のbugが見つかった初めての例…