youtuberにせよvtuberにせよ、楽しむために必要となるコスト(時間)が大きすぎるんだよね結局は暇な子供か大きなコストを払うことを厭わないオタクまでの範囲しか照準に入らない一個人をコンテンツ化するっていうのはそういう意味の敷居がとても高くて、同じジャンルのファン内での分断、乖離も大きくなる
Conversation
Notices
-
ふぁじぃ (fiasco_monolit@mstdn.jp)'s status on Sunday, 06-Dec-2020 02:30:14 JST ふぁじぃ -
ふぁじぃ (fiasco_monolit@mstdn.jp)'s status on Sunday, 06-Dec-2020 02:30:13 JST ふぁじぃ このため、youtuberやvtuberを楽しむためには彼らの人格を知る必要があり、一定以上の時間が必要になる逆にアイドルやタレントは幾つかある焦点の内1つだけで楽しむことが可能であり、個人そのものを好きになる必要はなく、そこに対する投資コストは好きの度合いによって変えていくことができる まあ、いろいろな場合や例外はあるにしても言いたいのはyoutuberやvtuberは極めて個人的存在に近く設計され、一個人をコンテンツ化することをより強く志向したものってこと
sumiyaki likes this. -
ふぁじぃ (fiasco_monolit@mstdn.jp)'s status on Sunday, 06-Dec-2020 02:30:14 JST ふぁじぃ アイドルやタレントの人間を中心とするコンテンツが物語や音楽、グループなどなど個人から離れた部分にも幾つかの焦点を持つのに比べて、youtuberやvtuberは常にして個人が焦点となり、その個人という人格の魅力をアピールする必要が出てくるバラエティやドラマにタレントやアイドルが出るにしても、彼らにはその範囲内で必要なとされることを求められるだけだyoutuberやvtuberは主体的に番組を制作しその全人格が常に求められることになる彼らは常に、チャンネルに紐付けられる統合的存在とされる
-