きのうイシュマエル氏がおっしゃった「自身の薄暗い感情を書き連ねることは世間には娯楽として認識されている」ということが印象に残っている。内面を吐き出す作業は自己と向き合う作業であり、それが娯楽たり得るのであればそれはとてもよいことだと思う。問題はその価値が社会的にはかられることや、内面と向き合う作業は自分自身の問題でしかないのに、他者や社会の評価を求めがちなことだ。そして実際にはソーシャルメディアは広告代理店が決めたルールによって運用されていて、そのアルゴリズムに最適化された人格のみが正義とされる。つまり本来は徹頭徹尾、個の問題でしかないはずのものを広告代理店が点数をつけて裁いてしまうことや、本来は垂れ流しさえできればよくて、他者にどう見られるかなどどうでもよかったはずなのに、そうしたゲームの場に組み入れられることで自然と点数を求めるようになってしまうことに問題がある。現状のソーシャルメディアにはそのような乖離があって、そこに生きづらさが生じる。