すべての書き手が平等に読まれなければならない社会はありえない。たとえばピンチョンとわたしならピンチョンのほうが広く読まれるべきだし、へたくそな小説を読むよう強いられたらわたしはキレる。出版や芸術においてはパーソナリティや人気による競争性が発生しても別に構わないと思っている。ただ現状はその競争性には恣意的な表示による偏りがあり、読書文化が尊重されていないと感じている。嗜好を疎外する表示が行われる理由は限られたひとびとを相手に商売するよりも嗜好のない「その他大勢」に売るほうが儲かるからだ。嗜好は教育によって拡大再生産される。経済効率を拡大再生産することのみを目的とするアルゴリズムは嗜好を疎外する。ひとびとは見せられたもののみを正しいもの、ひいては全世界と信じるから見せられないもの、すなわち嗜好は正しくないものとして消費者によっても疎外される。だれも次世代を育てなければ嗜好は途絶える。出版文化にいま起きようとしているのは、あるいはもうとっくに起きてしまって取り返しがつかないのはそういうことだ。