こうなんつか、我々が学校で教わってきた”歴史”とゆのは進化論的なもので、不可逆的なものだったわけだ。サルが人間に不可逆的に進化したのと同じように、人間は自由主義を不可逆的に獲得したかのように思い込んでいたわけだ。しかし、人間の歴史はそう簡単に塗りつぶすことはできない。
例えば、米国は人種差別の歴史を不可逆的に乗り越えることはできない。水痘やヘルペスのように抑え込んでおくことくらいしかできない。国が元気で栄えているとき、それは現れない。しかし社会としての抵抗力が落ちた時、ソレは帯状疱疹のように暴れ出すのだろう。Qアノン信者なんかは、それそのものだ。
日本人だって、何かが起きれば在日朝鮮人に敵意を向ける。それを扇動する百田尚樹や小林よしのりのような人物が日の目を浴びて社会にのさばるということは、既にこの国の抵抗力が落ちているとゆことなのだろう。日本が乗り越えてきたと思った差別の歴史は、不可逆的かつ進化論的なものではなく、単に経済がもたらす抵抗力で抑えていたことが分かる。