「遺伝子を残すことに価値を置く思考の意味がわからない」というのを見て,子を失うことを悲しいと思うか血筋の絶えることを悲しいと思うかの違いについて書いてあった箇所を思い出したがあれは何の本だったかな.
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Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info)'s status on Monday, 16-Aug-2021 18:37:35 JST Niceratus Kiotoensis -
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info)'s status on Monday, 16-Aug-2021 18:40:10 JST Niceratus Kiotoensis 悲しみの質的違いであり優劣で評価し得ないものだが,この頃流行りのポーズとしては後者を未開的として dis る感じかな?
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Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info)'s status on Monday, 16-Aug-2021 19:04:49 JST Niceratus Kiotoensis 松浦友久『漢詩――美の在りか――』で,杜甫「兵士行」の「耶嬢 妻子 走りて相い送る」の「妻子」は「妻と子」ではなく「妻」の意味である,中国の厭戦詩では父母や妻や兄弟までは出しても子は決して登場させない,という話があったのを多分朧気且つ不正確に記憶していたっぽい.なぜ息子を登場させないかというと「子供がいればその兵士は死んでも一家の血統は途絶えない.戦乱の悲劇性は,その分だけは減少される.血統が絶え,祖先を祭る者がいなくなる「断子絶孫」「絶戸」を最大の不幸と考える中国の伝統的な思考や感情こそが,反戦・厭戦を説く詩歌に「見送る児童」を登場させなかったのである」(p.41)ということらしい.
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Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info)'s status on Monday, 16-Aug-2021 19:08:17 JST Niceratus Kiotoensis その少し後に,『万葉集』で,我が子を残して辺境守備にあたる兵士の悲しみが歌われていることを取り上げて,「いたいけな吾が子と引き裂かれる悲しみと,一家の血筋さえのこせないまま戦役に死んでゆく悲しみとを比べた場合,どちらがいっそう悲惨であるかは一概に言えない.しかしここには,詩歌という”感情の深層”に反映した日中両国の悲哀の差異が,鮮やかに象徴されているといえるだろう」(p.43)とコメントされている.
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