共に生きていくということは人間がこれまで一生懸命頑張ってきたとことで、その結果、今の社会がある。人間は手の届くとこにあって、言葉を交わすことができ、この地球に共にある。その中にあっても、自然状態に近づくような絶対的他者、意思疎通の不可能な存在というものは浮かび上がってくる。双方が存続を求め、存続の方法を理解する知性があるなら。そこに、双方の生命を繋ぐ相互確証破壊と言う名の架け橋を作れる。絶対的他者を前にしてそれでもなお、共に生きる道というのは脳天に銃を突きつけ合うことで、それは壊れた関係でグロテスクにみえるかもしれないけれど、確かにそれは共に生きる道で、共に生きることを選び取れる道だ。愛だよ、愛。