三体 / 劉慈欣宇宙は開かれていて、世界は繋がっている。黒闇森林の中、隔絶され、孤独で絶望に覆われた宇宙。だけど、そうじゃない、それだけじゃない。私達はそれでもなお、それでもなお、同じここに、この宇宙に、共に生きている。自己の存続のために他者を破壊することは宇宙の必然の原理かもしれない。宇宙や自己を損耗してもなお、それは死よりマシで、自己存続は何よりも優先される。けれど、宇宙の最果てで、宇宙の終焉ですべての生命の運命は繋がる。すべてのおわりで、最後にあるのはきっと、共に生きる意志、愛だ。ここにあるのは、生命が持つ、本質的な愛。それは、地球人類、人類と三体星人、そして、宇宙の知的生命体すべて。その中でなんとか結びついた、自己の生命を他の生命と同じ地点に置くということ。私の生命と貴方の生命を等価値にするということ。その愛は同じ危機の上でのみ成り立つようにもみえるかもしれないけれど、そこにはそれだけじゃない意志があるはずだ。 どちらが正しいとは言えないし、言わないけれど、究極的に世界は1つで私達は共にこの世界に生きている。
Conversation
Notices
-
ふぁじぃ (fiasco_monolit@mstdn.jp)'s status on Saturday, 18-Sep-2021 18:17:56 JST ふぁじぃ - ミッキー・ハット(宗教団体真メグデス) repeated this.
-
ふぁじぃ (fiasco_monolit@mstdn.jp)'s status on Saturday, 18-Sep-2021 18:17:56 JST ふぁじぃ 永遠に続く闘争は無い。この宇宙にも終わりは来る。最後に私は自己の生と他者の生をこの宇宙の上で手にすることになる。私は……。核の傘、相互確証破壊は共に生きる道。みんなで脳天に銃を突きつけあって、私達は共に生きていく。貴方の命と私の命は同じ、ここにある。思想的に、私達は自己と他者とを等価とし、共に生きる道を選ぶことはできないのかもしれない。けれど、同じ空の下に地球の上に、宇宙の中にあって、私達の生命は1つの線の上に置かれる。共に生きる道はたしかにあって、私達にはそれを選ぶことができる。自己生存の為には暴力が必要で、私達はときにそれを行使する。けれど、なお、私達は1つの宇宙の上に立っている。線を引けば無限に細分化されていくれけど、宇宙は1つの系で、私達は閉鎖系に閉じてはおらず、接続されている。理想論でもなんでもなく、私達は、たった1つ、たった1つだけれど、決して違わない共通項を持っている。私達はこの宇宙の中で共にある、共に生きる道がある。