現在の社会なんて物理的に消滅するので死後についてまで考える必要はないと私は思っている。そう思わない人がいるのは分かる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 29-Sep-2021 14:14:18 JST
きゅーけー
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 29-Sep-2021 14:17:40 JST
きゅーけー
現在の社会が死後も永続するのだとしても私は構わない。どうでもよい。それが私の死生観。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 29-Sep-2021 14:19:23 JST
きゅーけー
自分を視点とせずに、他人の死にフォーカスした話だとすれば関係なくはないけど私にとってはわりとどうでもよい。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 29-Sep-2021 14:34:59 JST
きゅーけー
最近、私に影響を及ぼしたのは唯一仏教だけで、常見(死んでも残る)と断見(死んだら消える)の二者択一から離れる視点は私にとっては新しかった。両方否定する良さとしてはどちらを真としても苦しいことにある(死後については何も分からないのに)。じゃあ、なんなんだというのは理解可能な形で伝えられていないが、両方を否定する立場が最も楽な状態であることは私にとっては明らかだった。
ただ、仏教と一言にいっても色々な立場があり輪廻転生や地獄があるとする人もいる。私としては死後に地獄があるというような考え方は少なくとも死について救いに繋がる要素ないしまあそれは常見なんじゃないかと思う(輪廻転生は常見ではないとするロジックは唯識にあるんだけど、唯識の阿頼耶識が転生するやつはどうみても「私」が転生しているわけではないので素朴にいう輪廻転生は唯識でも主張していないんじゃないだろうか、阿頼耶識は主観的にアクセス不能で素朴にいっている「私」からは離れてるいるしどうなってもどうでもいいと思う)。
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