そう、ディスクレシア的な振舞いをとっている原因を脳に帰属させれば、その解決は外科手術とかそいうのになるんだろうな。できればいいだろうが。それを私にとっては機能的ではなかった強化履歴を受けてきたというように視点を転換すれば実は今から解決できる可能性があると話をひっくり返せるわけだ。これが行動分析学で物を考える最大の利点である。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 09-Nov-2021 03:40:30 JST
きゅーけー
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 09-Nov-2021 03:43:42 JST
きゅーけー
ディスクレシアじゃなくてディスレクシアじゃん。これがディスレクシア的な振舞いなんだよ。これは致命的だろう。なんだこのメタディスレクシア発言は。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 09-Nov-2021 03:44:34 JST
きゅーけー
くっそ、いつからディスレクシアがディスクレシアに変化したんだ……。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 09-Nov-2021 03:48:52 JST
きゅーけー
しかし、行動分析学が与える希望はある意味苦しみでもある。ディスレクシアでありどうにもならないという真実を見抜き「諦める」というのは日本古来(たぶん聖徳太子以降)から続く仏教の智恵でありここで行動分析学を使って悪足掻きをするのはよくないともいえるのである。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 09-Nov-2021 03:53:22 JST
きゅーけー
ようは解決可能な問題なのかどうかを見極めて、無理だと分かったなら諦めろという話なのだ。諦めた上でどう生きるかを考えればいい。でもいまは行動分析学という強力そうな武器を持ってしまっている以上は何か試したくなってしまうのも仕方のないことである。
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