現代の社会では、中毒だとか精神的な病などと診断されることで初めて「意志の問題ではない」と判断される。
でも実際のところ、全ての行動について「意志の問題ではない」わけだけど現代の社会では到底理解されそうにない。
現代の社会では、中毒だとか精神的な病などと診断されることで初めて「意志の問題ではない」と判断される。
でも実際のところ、全ての行動について「意志の問題ではない」わけだけど現代の社会では到底理解されそうにない。
これはかなり仕方のないことでもあり、嘆いてもどうしようもない話でスキナーの望むような自由と尊厳を越えた社会の実現は遥か遠くの彼方にあるように見える。
自由意志を否定する立場からすれば、「自由意志があるように感じる」とか「行動の原因は人間の意志である」というような考えだって、その人の意志によって生じたものではないわけだ。そして自身が自由意志を否定していることだって、個体発生の条件といままでの環境の履歴によってそう感じるようになっただけである。
自由意志否定派は現状そうとうなマイノリティみたいなんで、現在のところ「行動の原因は意志にある」と感じるようになるような環境的な要因が無数にあるというわけだ。
自由と尊厳を越えた社会というのはそういった環境要因を排除することで初めて実現する。極めて厳しい道程だろう。
私から自由意志の信念が消えさったのには明らかに当時の環境的な要因があってそういう縁がなければ、自由意志がないとは夢にも思わないだろうし徹底的行動主義的な見方が一般まで普及しないのは当然といえる。ただ、行動分析学を学んでいれば罰的な行動を回避できたであろう状況はちょっとスーパーにいっただけでも親が子供に罰的な刺激を与えるのを見かけるレベルで蔓延してるんで、どうにかならんのかとは思う。
罰的な刺激の使用は、命とか後遺症が残るような致命的な状況の回避にのみ許されるべきで、それ以外の状況では代替可能でより有用な行動の制御の方法が既に開発されているのに使用されていない。
これについては下記の体罰に反対する声明に詳しく書いてある。誤解されやすいんだけどこの文書でいっている「体罰」は「叱る」とか「怒鳴る」みたいな言語的な刺激も含んでいる。
日本行動分析学会「体罰」に反対する声明https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjba/29/2/29_KJ00009844365/_article/-char/ja/
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