senooken JP Social
  • FAQ
  • Login
senooken JP Socialはsenookenの専用分散SNSです。
  • Public

    • Public
    • Network
    • Groups
    • Popular
    • People

Conversation

Notices

  1. きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 15-Dec-2021 01:58:43 JST きゅーけー きゅーけー

    過去に一度読んで挫折した「龍樹」(講談社学術文庫)なんだけど、今読み直したら割と理解できるようになってた。

    前回読んだときとの最大の違いはカント哲学における分析判断と綜合判断について軽く知ってたのが一番大きい気がする。

    不去の説明の中に「現に去りつつあるものは去らない」という意味不明な話がでてくるんだけど、これは「去る」という概念が実在するという考えを否定するという文脈であるために「現に去りつつあるものは去る」を分析判断によって真とすることはできず綜合判断で考える必要があり、そうすると偽となるという話らしい。

    まさか龍樹の言っていることを理解するのに西洋哲学が必要になるとは思わなかった。

    In conversation Wednesday, 15-Dec-2021 01:58:43 JST from mastodon.tojo.tokyo permalink
    • きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 15-Dec-2021 09:13:45 JST きゅーけー きゅーけー
      in reply to

      「現在去りつつあるもの」に「去るはたらきがある」とする考えに異を唱えるの、徹底的行動主義が仮説的構成概念を拒絶するのに近い感じがするな。

      In conversation Wednesday, 15-Dec-2021 09:13:45 JST permalink
    • きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 15-Dec-2021 09:39:22 JST きゅーけー きゅーけー
      in reply to

      龍樹の中論は300ページにも及ぶお膳立てがないと現在の人にとっても、そして当時の人にとってもまるで意味が分からない文章であったということがよく分かった。

      中論は説一切有部や他の宗派や仏教外の人への攻撃によって成立していて、そこから一切自身の主張をしないこと(破邪の論法)によって縁起による世界のありようを語ることにより、原始仏教に回帰するという驚くべき展開をしている。

      いままで、龍樹による大乗仏教の肯定はなんか原始仏教から離れていくきっかけになったんだと思ってたんだけど、実は原始仏教への回帰であったということに新鮮な驚きを感じている。

      原始仏教における経典でも法の成立の根拠として縁起は考えられてはいたけれど明確には語られていなかったために、後の仏教(特に説一切有部、法の根拠として縁起を使用せずにメタレベルで法が実在すると主張していた)において重視されていなかったのを、龍樹が掘り起こすことによって縁起による法のありかたを語ったというわけで、龍樹は原始経典で明確にされていなかった縁起の概念を精緻化し原始仏教を理論的に補強して広めたということになる。

      大乗仏教が何故仏教なのかが分かる。

      In conversation Wednesday, 15-Dec-2021 09:39:22 JST permalink
    • きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 15-Dec-2021 10:40:28 JST きゅーけー きゅーけー
      in reply to

      西洋哲学の理解が東洋哲学の理解に繋がったり、説一切有部の理解が中論の理解に必要であること自体がもうこの世のありかたが縁起(独立して存在するものなどなく相依っている)ことを示しているように見えて仕方がない。

      説一切有部は大乗仏教からすると批判されがち(というか説一切有部への批判によって成っているわけだから当然だが)だけど、説一切有部も時代を考えるとかなり進んだ仏教哲学であったと言わざるを得ないし、説一切有部も基本的に仏教であるけど法に対する考えに仏教自身と矛盾する論理的な弱点があったということで、龍樹はこれを徹底的に攻撃することで法のありかたを説くことに成功したわけだから、説一切有部なしに龍樹なしといえよう。

      なお、説一切有部の一切は仏教の法(諸行無常とか煩悩とか)に限るので一切の範囲はかなり狭いことに注意する必要がある。さすがに諸行無常と諸法無我という仏教的な基盤を持ってるのに「この世の全て」という意味で一切が有るといっていたなら仏教とはいえなくなるわけで、説一切有部が自身を仏教であるとするのにはそれなりの根拠があった。

      In conversation Wednesday, 15-Dec-2021 10:40:28 JST permalink
    • きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 15-Dec-2021 10:48:24 JST きゅーけー きゅーけー
      in reply to

      概念の実体に関する言及に対して理解するという意味ではメタ的な概念に慣れておく必要がある気がしていて、Lisp を学んでいたこととか、数学基礎論に関心を抱いていたことが、龍樹の中論の理解に機能したように思えてならない。

      あと徹底的行動主義も仮説的構成概念を行動の原因とする考え方を否定するし、そういう概念の実体を否定する考えにそもそも慣れていたのも結構大きい気がする。

      In conversation Wednesday, 15-Dec-2021 10:48:24 JST permalink

Feeds

  • Activity Streams
  • RSS 2.0
  • Atom
  • Help
  • About
  • FAQ
  • TOS
  • Privacy
  • Source
  • Version
  • Contact

senooken JP Social is a social network, courtesy of senooken. It runs on GNU social, version 2.0.2-beta0, available under the GNU Affero General Public License.

Creative Commons Attribution 3.0 All senooken JP Social content and data are available under the Creative Commons Attribution 3.0 license.