正の強化の随伴性に制御された行動を増やすというスキナーの理想の実現のためにも、自由ソフトウェアは必要なものではないかと考えている。
ユーザーにとってはソフトウェアは環境なわけで、ソフトウェアの変更が禁じられている状況はユーザーによるユーザー自身の行動の制御を禁じることに相当する。GNU も不自由なソフトウェアはユーザーを支配と言っているけど行動分析学を学べばこの状況を正確に表現できると思うんだよな。
とはいえ、この状況を正確に表現してしまうとその説明を理解できる人が行動分析学を学んだ人に限られてしまう問題がありさあどうしようという感じなんだが……。