佐藤方哉先生の「自覚せざる仏教徒としてのスキナー : 随伴性とは縁である」を見たのはもしかすると仏教に触れるきっかけだったかもしれない。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjba/5/2/5_KJ00001021403/_article/-char/ja/
この文書中に「ナーガールジュナ」(龍樹のこと)が出てくるんだけど『龍樹』(講談社学術文庫)を読んでその意を汲み取れるような気がする。龍樹は縁起から無自性、無自性から空を説いた。それが意味することは全ての法(概念を含むもの全てのこと)は相依って成立していて何からも独立して有るものなどありえないということだった。
スキナーも個体の行動について個体そのものに行動の原因を求めず行動の前後の環境に行動の原因を求め、個体の中に独立した行動の原因が存在するということを否定した。
ということでたしかに主張していることが似ている。違うのは龍樹の主張の適用範囲がめちゃくちゃ広いというところと、スキナーが作ったのは行動の科学であり実際に行動の制御のために利用可能ということだろうな。