「認知の歪み」はそれを実体視さえしなければなんら問題のない概念だと思っています。「認知の歪み」の観測は行動傾向からしか判断できないため、「認知の歪み」の実在性について問うことはできないわけで「認知の歪み」によるとされるような行動が起きないようにするための手続きとして「認知の歪みの修正」が機能する以上、自分の持っている哲学的背景が違っていても何ら問題はないというそういう受け入れかたをしています。
なので、私は「認知の歪み」が問題となる行動の原因であるという考えはしないのですが、その有用性を否定する必要はなく問題ないものだとして受け入れるのが最もよいと考えています。
これは、徹底的行動主義に毒された?人にとって必要な心構えみたいなものであってたぶん一般的には不要な考えだと思います。
私にはこう考えないととても受け入れられないので必要なんです。