仏教由来でかつ仏教の概念に含みのない言葉は多すぎるので、二つの意味を明示的に分けるのは無理。たとえば「我慢」とか本来は仏教では煩悩の一つ。「我を慢する」ことがどうして今の我慢の意になったのかの経緯は結構不思議だと思う。
Conversation
Notices
-
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Sunday, 26-Dec-2021 13:15:58 JST
きゅーけー
-
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Sunday, 26-Dec-2021 13:18:29 JST
きゅーけー
下記の我慢の意味、1, 2, 3 で全然意味が違うの面白い。聖徳太子が仏教を日本に持ってきて文明を発展させてきた以上、仏教的な語彙からは逃れられない。https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%88%91%E6%85%A2/
-
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Sunday, 26-Dec-2021 13:21:45 JST
きゅーけー
流石に日常的に† 我慢† などとは言ってられまい。
-
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Sunday, 26-Dec-2021 13:36:22 JST
きゅーけー
> 現在使われる、自分を抑制する、耐え忍ぶといった意味に使われるのは、我意を張る、強情の意味を介した転義で、近世後期からの用法です。https://www.nichiren.or.jp/glossary/id39/
えー、今の「我慢」の用法って割と最近のものなのか。
-
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Sunday, 26-Dec-2021 13:39:21 JST
きゅーけー
> 仏教では、自分を固定的な実体とみて、それに執着することで起こる、自分を高く見て他を軽視する思い上がりの心を〈慢まん(māna)〉と呼び、このような心の状態を分析して、三慢、七慢、九慢と説きます。https://www.nichiren.or.jp/glossary/id39/
上記の記事だけでも分かるように、仏教では自分を固定的な実体とみるのをやめようという驚くべき思想を持ってるので、なんというかただの宗教の一つとして見做されてしまうのは本当にもったいないと思うんだよな。
-