この前、酒、タバコを「やめたいのにやめられない」のを止める手段について言及したときに、重要な観点を見落していたことに気づいた。
ただ、やめるだけじゃなくてそれをやめた時間に何をするのかもまた重要だ。代替行動も(自身や周囲の他者にとって)問題と見做されるのであれば結局のところ意味がない。
この前、酒、タバコを「やめたいのにやめられない」のを止める手段について言及したときに、重要な観点を見落していたことに気づいた。
ただ、やめるだけじゃなくてそれをやめた時間に何をするのかもまた重要だ。代替行動も(自身や周囲の他者にとって)問題と見做されるのであれば結局のところ意味がない。
酒やタバコに関する行動の機能が人によって異なる以上、どうやって対処すれば良いかは人によって異なるわけで、やはり行動分析学家は人員不足だといえる。こういった問題についても個々のケースで機能分析できないと根本問題は解消不能なために一般に良いといえる手段を提供できない。
行動の前後に何が起きているのかを広く見渡して、行動がどう機能しているのかを見ないといけない。
行動の機能が問題なのではなくて、形態が問題なのであれば別の形態で同じ機能を持つ行動を強化することで解決する場合もある。機能への注目を忘れると、同一の機能を持った行動は強化されたままであることを忘れてしまい、問題行動を行動分析学の手法で減らしたと思ったら別の問題行動が生じるようになったということになりかねない。問題行動を減らすときそれと近い機能を持つ問題と見做されないような行動を強化する視点を忘れてはならない。
子供の教育とかでは非随伴性強化法(NCR)が強力な場合が多いので紹介したいんだけど、検索して見つかる記事ってどうも説明が徹底的行動主義してないんで困る。問題行動の正の強化子を行動に随伴させずに、提示することで問題行動を減らすテクニックで赤ちゃんの夜泣きの問題とかはこっちで解消するのが良いと思う(産業図書の『行動分析学入門』は消去で夜泣きの対応する例を紹介してるんだけど、あれは駄目だと思う……。普通に赤ちゃんが可哀そうで受け入れられないでしょ。そもそも素人が消去バーストに耐えられるとは思えんし)。
非随伴性強化(NCR)を適用するにも何が正の強化子になっているのかを見極めることが大切なんで、安易に「ご褒美」だとか「報酬」とかいう表現を使うとどつぼに嵌りかねない。行動分析学の手法を使うときはあなたの思う「ご褒美」や「報酬が」、対象にとっても同様かは分からないということを常に念頭に置いておく必要がある。自分にとってもそうで本当にそれが「正の強化子」として機能しているかは「ご褒美」であるかとか「報酬」であるかとかで判断はできない。実験によって明らかになることであり思い込んではならない。
徹底的行動主義になってない説明の方が技術を伝達しやすいという意味では機能的というのはそうだと思うんだけど……。やっぱそこ重要なところだと思うし、報酬とかご褒美とかいうのよくないと思う……。
親戚のお子さんが夜泣きして困っているという話を聞いたんで、非随伴性強化(NCR)をおすすめしてみたんだけど、結構すぐに効果を感じられたらしいんだよね。
本当に、消去を推奨しなくてよかった。消去をおすすめしたら悲惨な結果になってたかもしれんし。
こういうことを考えると行動分析学って半端に学んで応用すると危ないってことだよな。行動分析学を学ぶと消去は早い段階ででてくるけど実際に消去の手続きを実行するのはとても大変なのでそれだけは覚えておく必要があると思う。
問題行動を減らす消去手続きの何がやばいかというと、消去手続きの実行中に消去バーストという消去対象の行動が爆発的に増加しちゃう現象があって、その途中にうっかり強化しちゃうと問題が悪化するというところ(強化したりしない場合があると部分強化スケジュールになって問題行動の頻度や強度が増加して状況が悪化する)。
やっぱ、消去の手法は人におすすめしにくい。問題行動の種類によっては妥当な状況もあるんだろうけど……。
よって、夜泣きで困っている人に消去手続きを推奨するとたぶん夜泣きは悪化する。リスク高すぎでしょ。この場合は非随伴性強化(NCR)の方が間違いなくいい。
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