プログラムを書く行動は文脈によってマンドとしてみることもタクトとしてみることもできる。マンドとしてのプログラミングは処理結果によって強化され、タクトとしてのプログラミングは般性強化子によって強化される。この2つでは機能が異なる。別の随伴性によって強化されている。
マンドとしてのプログラムではプログラムが綺麗である必要はない。タクトとしてのプログラムでは人間(自信を含む)からの評価が絡むわけでそこで綺麗に書く必要が出てくる。
プログラムを書く行動は文脈によってマンドとしてみることもタクトとしてみることもできる。マンドとしてのプログラミングは処理結果によって強化され、タクトとしてのプログラミングは般性強化子によって強化される。この2つでは機能が異なる。別の随伴性によって強化されている。
マンドとしてのプログラムではプログラムが綺麗である必要はない。タクトとしてのプログラムでは人間(自信を含む)からの評価が絡むわけでそこで綺麗に書く必要が出てくる。
マンドとしてのプログラミングとタクトとしてのプログラミングは形態は似てるけど機能は違うんだ。「プログラミングが得意な人」というときは注意しないといけない。処理結果によって強化されるのと人間によってプログラムを書く行動が強化されているときのプログラムを書く行動では機能が違うんだ(両方によって強化される場合を排除しているわけではない)。この機能の違いに気づくのはたぶん簡単じゃない。
あー、でもスキナーはタクトとマンド以外に書き取り行動みたいのに別の用語をあててたな。上の文章はマンドとタクトを拡大解釈してるかもしれない。
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