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第2次世界大戦後の物価統制令に反してそれより高い値段で売り買いする場所を闇市と言ったわけだけど,その定義なら,公定市場の方が少なかった時代だ。たいていは闇市(なにせ公定価格の物しか食べないと言って飢え死にした裁判官がいたくらい)。なもんで,この意味で闇市で言うなら,現在の商店街で闇市起源じゃない所の方が珍しい。(いわゆるニュータウンの商店街のように人工的に作られたか,近所の人だけを相手にしてた昔ながらの商店街か,でなきゃイオンモール(笑)。)で,秋葉原も公定価格を守らなかった点では立派に闇市なわけだけど(笑),他のところと違ったのは,ラジオ部品に特化していたところなんだよね。(神田の夜学の電機学校の学生が部品を買い集めてラジオに仕立てるということをやっていたらしい。後の東京電機大学。)で,最初に商売をしていた場所は万世橋のさらに南側,神田須田町周辺。で,GHQに立ち退きを求められて,東京都と国鉄が温情で総武線のガード下を提供したのが電気街の始まり。で,ここから先が本題。今は万世橋神田須田町っていうと,駅もないし,目立つものもないから,そんな感じはしないけど,戦前は万世橋駅があった上,市電(都電)一大ターミナルだったのよ。日露戦争で有名にされた広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像も神田区の御厚意でここに立ってたという。なもんで,秋葉原って,その後は電気街に覆われちゃったけど,もともとは交通の要衝であったわけさ。……そりゃあ歓楽街もできるよね……。