自由の実在を否定している私が自由ソフトウェアを論じるにはどうすればいいんかなーって思う。やっぱプロプライエタリでないソフトウェアとして自由ソフトウェアを紹介するくらいしかない感じがする。
権利とか自由っていうのが幻想だと思って社会を見てしまってるので強く言えない。行動科学の観点から自由ソフトウェアがいいとかいうのも行動科学が普及してないからダメだし。
自由の実在を否定している私が自由ソフトウェアを論じるにはどうすればいいんかなーって思う。やっぱプロプライエタリでないソフトウェアとして自由ソフトウェアを紹介するくらいしかない感じがする。
権利とか自由っていうのが幻想だと思って社会を見てしまってるので強く言えない。行動科学の観点から自由ソフトウェアがいいとかいうのも行動科学が普及してないからダメだし。
自由ソフトウェアを知ったきっかけは、Debian社会契約だった。でも真に私を自由ソフトウェア主義者にしたのは GNU でも Debian でもなく、Microsoft, Apple, Adobe 等のソフトウェアのライセンスなのだと強調しておきたい。
もともと、利用規約をよく読む方でプロプライエタリなソフトウェアのライセンスが嫌いだったんだよな。
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