善人すら救われるんだから悪人は救われるに決まってんじゃんっていう理論(悪人正機)。なんでかっていうと南無阿弥陀仏による救いは仏教の教えを実践できるような善人に対してではなくてそれができない人に対するものであるというのが根拠。とはいえこれだけだとあんまり浄土真宗がなんで仏教なのかよく分からないんだよな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 06-Apr-2022 03:01:12 JST きゅーけー -
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 06-Apr-2022 03:05:57 JST きゅーけー 浄土真宗はメタい。当時(鎌倉時代)の仏教徒がやっている「修行」について結局それって「悟って自他を救う」という目標に「こだわって」るよね?っていう鋭いつっこみが入っている(仏教は執着が苦しみの原因でありこれを手放して苦しみを無くす)。
「悟り」への執着を完全に手放すことによって「悟る」のが浄土真宗である。浄土真宗の念仏者は悟らないんだけど実質悟ってる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Wednesday, 06-Apr-2022 03:08:25 JST きゅーけー 浄土真宗の念仏者の生き方はフリーダムのように見えて「現世利益のための祈祷をしない」(御守り買うな、神仏に願うな、朱印はやらん)とか言ってたりしてそれって実質修行じゃねっていう気持ちになったりする。
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