そもそも著作権はどういうありかたであればいいのかについてはたまに考えてる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 01:47:41 JST きゅーけー -
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 01:57:19 JST きゅーけー 自由意志を否定してるものからすればそもそも個人に帰属するような独創性などどこにも実在しないとかいえてしまうけど今の社会でそんなことを言うのは危険すぎる(言ってる)。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:21:08 JST きゅーけー それまで情報とその媒体がセットで売られていた本や絵が計算機によって情報として扱えるようになった。情報は計算機によって容易に複製できるが、それは本や芸術を専門にしている人にとっては致命的であった。彼等の職が失なわれると社会が困ると判断され、彼らを保護するために本来複製可能な情報であってもを複製できないということにした(そもそも「情報を複製」という表現に何か混乱がある気がする)。
他に計算機の普及によって失なわれてきた仕事はたくさんある。でも本や芸術に関する職はそれで失なわれてはならないということになったし、著作物の情報は複製できないということになった。そのような保護をしない場合の社会がどうなるのかについての実験はまだされていないけど、現状は危険だと考えられているという感じかな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:24:20 JST きゅーけー 計算機の普及によって失なわれてきた仕事は社会からそれによって要らないと判断されたものなんだろう。それに対して本や芸術に関する仕事は計算機の存在によって代用される何かではなくて社会から必要とされているのが違いなんだろう。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:33:11 JST きゅーけー 本の執筆や芸術によって生計を立てられなくなったとき、本当に本や芸術が失なわれるのかについては気になっている。
そもそも仕事として本や絵で生計を立てられるようになったのっていつからなんだろうか。少なくとも文明の最初からではないと思う。それらが仕事として成立しえたのは貴族の専属としてとか貴族自身とかそんな感じだったと思うのがいつからか変化したんだと思うんだよな(イメージで言ってる)。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:35:15 JST きゅーけー もしかすると文明の最初にいたのかもしれん。狩とかうまくないけど絵がうまかったり、字が書ける人はそれだけで重宝されただろうし、それは実質的に現代でいうところの仕事に相当するかもしれない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:36:09 JST きゅーけー 実際、縄文土器とかめっちゃ凝ってるしな。弥生時代になってシンプルになったのはなんか闇を感じる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:38:16 JST きゅーけー 縄文土器がめっちゃ凝ってるのはそれが仕事として成立してたからじゃなくて暇で楽しむためにやってたんだと思うんだよな〜〜〜。弥生時代になってシンプルになったのはたぶん社会が変わってそれが仕事になったからなんだろう。つらい。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 29-Apr-2022 02:39:36 JST きゅーけー 人口が増えて生産性が求められるようになって土器がシンプルになったとしか思えん。
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