社会について考えるとき、結局いまの社会が地獄に見えてるかどうかってのが大きいよな。大抵の人はどうやらおどろくほど今の社会で困ってないようで、行動の原因が人の内側にあって称賛される行動も非難されるような行動も個人に帰属するっていう状態でなんら問題ないみたいなんだよな。
しかし、それが実際にはたんに環境によって振り分けられただけであって、しかも現代はある程度は環境操作によって制御可能だってことが分かってる状態にもかかわらずそういった制御はなされない。
この社会にいて、困っている人にとっては社会を変革しようという行動は十分強化されるだろうし、行動科学について知らないだけで実際には困っている人に言語的に伝えていって今の世界観をひっくり返すってことはまあ、もしかしたらできるかもしれないし、私にとってそれは強化的な行動であることは確かである。