内心や価値観を隠蔽するにはそれなりの説明ができる。これがスキナーの言っている「尊厳(Dignity)」に当たるもので、こういったものを隠蔽した状態で行動を自発すると周りの人から強化される。まあようは褒められるという随伴性がある。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 08:33:02 JST きゅーけー -
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 08:34:11 JST きゅーけー 称賛されるようなことでも行動の原因が外からみても明らかな場合は、褒められることはない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 08:41:54 JST きゅーけー 自身の行動の原因を本人が知っていたとしてもそれを言わない方が行動が強化される場合(まあようは褒められる場合)、自身の行動の原因について語る行動は自発されなくなっていく。
別にそれが悪いというわけではない。そういう随伴性があるというだけ。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 08:47:07 JST きゅーけー また、別に本人が本当に行動の原因について知らない場合でも原因が分かる場合と比べて強化される。
どちらもそれが悪いというわけではないけど、行動分析学を普及させるにあたっては障壁になるので困る。何故なら行動の原因を明らかにしてしまうと、行動の原因が分からないことが理由になって褒められていたのが褒められなくなってしまうため。
この問題を解消するには、行動の原因がはたからみても明らかであるような場合でも、それを当然のこととして流すのではなくて褒めるようにする必要があるだろう。 -
きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 09:08:45 JST きゅーけー この話、実は割と現代の価値観にとって破滅的なことをいっていて、将来あらゆる行動の原因を明らかにできるようになったとき、いわゆる「才能」と呼ばれるようなものは失なわれる。何故なら行動の原因は明らかになっていて再現することが可能になっているから。
もちろん、遺伝的な要因等が影響する可能性は否定しない。といっても遺伝的な要因であることを示すのは環境要因であることを示すのと比べると難しい場合が多いだろう。実験が難しいからね。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Jun-2022 09:15:11 JST きゅーけー あとやばいのは「努力」とかも行動の原因とみなされなくなることあたりかな。世の中って「才能」と「努力」でものを語ることが多い。その中で、環境要因で行動の原因を説明されてまうとそういったものが架空のものであったことが明らかになってしまう。
この問題を超えないと行動分析学を広げるのは難しいんじゃないかと思ってる。
とはいえ、「努力」の実現のために行動分析学を使うみたいな感じにして一般的な考え方に寄り添って広げていくっていうのも全然ありだとは思う。
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