結局は面白い日々を過ごしたいだけなんだよな。面白くない会社に染まり続けると自分も面白くない人間になってしまいそうな気がする。そんなん自分次第だとわかっていても、周りの人間が少しずつ会社に染まっていくのを見ると他人事とは思えず、ぶるぶると震えてくる。逆に自分がつまらない人生で、周りが普通で、面白い享楽の日々を過ごしているのだと認めたくないだけなのかもしれない。多様性のない村文化からの解脱を望むのは悪いことなのだろうか。空港という場所に幻想を抱きすぎたことは間違いない。多様性のあるグローバルな人々が集う場所だと信じていた。しかし、ふたを開けてみればしがない田舎の、しかもセキュリティや法律でガチガチに固められた超保守的な場所だった。それは生きていくうえでは問題ないし、むしろ安定はしている。だが、その安定は穴の空いたコップに水を注ぎ続けても水が存在している、というだけのもので、欠陥だらけのシステムがいつ崩壊してもおかしくないのだ。20年ものの電子基板が無数に存在する場所で、働き続けたいとは思えなくなってきた。いつ沈むかわからない土地で、無為な歯車になることが正しいのか、わからくなってきた。