「誰かの何かについてのコミットメントが充分でない」ように見えるとして、それが事実であっても、皆それぞれの暮らしを生きながら、自らの信じるcauseについてできる範囲で関わっている、ということを忘れてはいけないが、それでも、その人の属性や階層などがその人にとっての「社会問題の優先順位」の決定に影響を与えていることは否定できない
残酷だよね。
本当は社会が抱える問題に「優先順位」なんてあってはならないのに。わたしたちひとりひとりは無力すぎて、選択を余儀なくされて、その中でどうしようもなく「何もしない」つまり、自分が誰かを踏み続けるcauseが存在してしまう。