これ、マジで沖縄問題と呼ばれる一連のことについて語るときにも似たようなことが起こってるような気がする。自分たちの加害性に対して自覚的であることから思考していく先が、構造的差別の解体への希求じゃなくて、その差別構造を「引き受ける」という男らしさのナルシシズムを感じてしまう。加害性の自覚から距離をとって、じゃあその構造を解体するにはどうしたらいいのか、って話にはいかないから、結局構造の強化に加担する。しかもそれ指摘するとすんげぇ怒るんだよねぇ……。
これ、マジで沖縄問題と呼ばれる一連のことについて語るときにも似たようなことが起こってるような気がする。自分たちの加害性に対して自覚的であることから思考していく先が、構造的差別の解体への希求じゃなくて、その差別構造を「引き受ける」という男らしさのナルシシズムを感じてしまう。加害性の自覚から距離をとって、じゃあその構造を解体するにはどうしたらいいのか、って話にはいかないから、結局構造の強化に加担する。しかもそれ指摘するとすんげぇ怒るんだよねぇ……。
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