まず自分は差別発言をしていた、そういう言動があったということ「だけ」からヘイターだ、差別「者」だと呼称すること自体に大変大きな問題を感じている。ヘイターでなくても差別は日常茶飯でなされている(残念ながら)からだ。
リアル社会見てりゃわかるが、差別の指摘どころか、ちょっとした仕事のミスや発言の問題性を指摘しただけでも、一対一でも人はまず間違いを認めることができない。そんなことはないって人は結構いい世界で暮らしているのかも……。
それなのに衆人環視のインターネット環境で、見知らぬ他人から強い糾弾口調で批判されてもなかなか誤りを認められないだろう。だからと言って糾弾するなとは思ってないのだが、人間心理としてそういう側面もあることは間違いがない。
正しいことを正しく言うことが本当に個人の学習、間違いの訂正に効果的なのかどうか。自分は常に何かいい、別のアプローチはないかと気になってる。
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moriteppei (moriteppei@mstdn.jp)'s status on Tuesday, 13-Dec-2022 07:26:21 JST moriteppei