めちゃくちゃザックリ言うと、「市場」がインフラを担い得るのだ、みたいな志向が、80年代以降のある種の日本ポップ文化批評のなかにも強くあったわけじゃないすか。ぼくも「市場」の動力はとても大切だと今も思ってるし。ただ、「市場」原理に乗っかることの意味が、昔とはもう変わっちゃってんだよな。
「市場」や資本をただ追認してればある種のリベラル性を主張できた時代はもう終わっていて、何がしか自立性を確保せざるを得ない状況がある。そこでじゃあどうするかっていったら、本当に手売りや手弁当の流通とかまで含めて考えるしかないんだと思う。実際にはハードルが高いので、少しずつやるしかないけど。
そこで能力主義や条件格差が肥大化しないように注意して、なんとかバランスをとっていく必要がある。
ただ、そもそも何かやってみなければ何も起きないし、各自が自分にできる範囲のインディペンデントな試行錯誤をすることの広がりを、少なくともぼくは支援したい。やることの中身はバラバラでいい。