発達障害界隈のクラスタが裏ルールに気付いて言語化しつつある現状は、曖昧な世界観に客観性を持たせてくれるので非常に良い傾向だと感じている。
ぶっちゃけ「普通のひと」が言う「常識的な概念や手法」って、言うほど普遍的な再現性がない。たとえ「普通のひと」に属する人間でも、タイミング次第で「常識的手法」を取り落すケースがよく観察される。言い換えれば、「手段としての品質が低い」。
むしろ発達障害者の人が再発見した概念の方が、僕の私感では概念自体のアクセシビリティが圧倒的に高い。日常生活や組織運用でも不便なくよく刺さる。自分の言葉が遥か遠方の多様性までリーチする現代においては、むしろこちらの性質の方が「社会的」なんじゃねーの、とすら思ってしまう今日この頃。
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ପ(0w0)ଓ@Ahiro (0w0@qiitadon.com)'s status on Friday, 14-Sep-2018 19:44:07 JST ପ(0w0)ଓ@Ahiro - ( ᐛ) まりなっピ and なのやつ repeated this.