読んでた.おもしろい.
【インタビュー】定理をいきなり思いつくってホント? - 「数学者」に話を聞いてみた - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/10995740/
Conversation
Notices
-
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Wednesday, 26-Sep-2018 11:23:24 JST Niceratus Kiotoensis - ライクロフト@末代 repeated this.
-
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Wednesday, 26-Sep-2018 11:24:42 JST Niceratus Kiotoensis 「「○○ならば××」という形の証明の必要な主張を「定理」と呼びます。「定理を思いつく」というのは面白い仮定「○○」と結論「××」のペアに気づくことを言います。この段階では正確には「問題を思いついた」と表現すべきでしょうが、証明できたことにして、先走って「定理を思いついた」と言ってしまうことがあります。もちろん、ちゃんと証明もできた後は「定理を思いついた」と堂々と言っています。一方、「○○ならば××」という主張は先にあって、その証明をしようとするときに、計算の難しさなどの理由で、途中で行き詰まることがあります。その証明の困難を突破できたときは「定理が得られた」や「定理の証明を思いついた」という表現になりますね。」
In conversation permalink -
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Wednesday, 26-Sep-2018 11:26:55 JST Niceratus Kiotoensis これを思い出した.
https://twitter.com/ncrt035/status/783138520361607168In conversation permalink Attachments
-
Niceratus Kiotoensis (ncrt035@gnosia.info@gnosia.info)'s status on Wednesday, 26-Sep-2018 13:06:38 JST Niceratus Kiotoensis 岩波文庫(1995年)から原文です.
「数学が演繹的であるというが,それは既成数学の修業にのみ通用するのである.自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば,その学説に基づいて演繹をする.しかし論理は当り前なのだから,演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう.若しも学問が演繹のみにたよるならば,その学問は小さな環の上を永遠に週期的に廻転する外はないであろう.我々は空虚なる一般論に捉われないで,帰納の一途に精進すべきではあるまいか」(『近世数学史談』「書かれなかった楕円函数論」p. 69)
In conversation permalink