「知的向上のための毎日であらんと欲し、その為に日々を過ごす」
事が馬鹿ではない事だとするなら、そのスタートラインは、自分はまだ未完成であり至らないところがあると言う前提に立脚せねばならない。
馬鹿かそうでないかは、他人と比べることではなく、
昨日の自分、今日の自分、明日の自分と、自分の中だけで比べる事なのだから、
他人からよくわからない定義で馬鹿だと言われたところで、
「まぁ、なんのこと言ってんのかわからねーけど、至らない事があるから毎日知的向上のために過ごしているんだしな」と、そういう感想しか持ち得ない「はず」だ。
だから、他人に馬鹿と言ったところで、ノーダメージである、というのを「理屈の上では」理解しているやつこそが「馬鹿ではない」と言える。
ちなみに、「理屈の上では」と言うのが大事で、
「理屈ではわかっちゃいるが、感情が暴走して収まりがつかない」という状況に相手を陥れるのが「煽り」という芸である。
だから、
馬鹿にされて、相手を馬鹿にし返すのは、
馬鹿しかやらないのだ。