ちょいと前にトゥートした”「自作したPC」のパーツを交換しながら使い、もともとのパーツが無くなった時それは同一の「自作したPC」なのか”はつまりはテセウスの船なんだけど、これは観測者がいるか、客観的に同じだと判断できる記録があるかによって変わると思うんだ。
例えば、
1.実家暮らし青年がPCを組んで、家族もそのPCの存在を知っていたとする
2.青年が一人暮らしを始めそのPCをもって引っ越す
3.青年はPCのパーツを交換しながら使い続け、部品がすべて入れ替わる
4.ある日、青年が突然死亡する
このとき
・生前の青年にとってそれは同一のPCである
・3~4の間に家族が変わりゆくPCを見ている場合、家族は同一のPCだと認識できる
・3~4の間に家族が変わりゆくPCを見ていない場合、家族は同一のPCなのか買い替えた物なのか判断できない
・青年がPCがパーツを交換した事実を記録していた場合、家族は同一PCだと客観的に判断できる
つまり物のアイデンティティ(同一性)は観測により確定する。