そもそもAI=道具=技術であってそれは信仰の対象ではない,というのも,私やフジイユウジ氏がそう感じているだけでほんとうにそうなのかっていう話はありますからね。じゃあペットと家畜はどう違うんだ,とかそういう話になってくる。
あるいはもっと近い例を挙げるなら,AIBO。AIBOが致命的な故障をして動かなくなったとき,その〝犬〟の葬儀をするのは故障したテレビに涙を流して手を合わせるくらい〝愚か〟で〝間違っている〟ことなのか?ってことです。
もちろんAIBOは提供側が「これを技術ではなくて生き物として扱え」と言っているわけで,そういう意味ではほぼ完全な道具・技術として提供されているテレビとは〝違うモノ〟のかもしれないけど,じゃあ「画家」として提示されたAIを「ただの道具・技術」として,その他の属性を切り捨てるのはどうなの,という話。
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B̅ (cmplstofb@mathtod.online)'s status on Sunday, 14-Aug-2022 17:41:43 JST B̅ -
B̅ (cmplstofb@mathtod.online)'s status on Sunday, 14-Aug-2022 17:46:48 JST B̅ 〝「画家」として提示されて,そして実際に「画家」のように振舞うモノ〟を,「画家」のように扱うのは問題ないと思うのよね。今までの人間社会でそういうことがほぼ皆無だっただけで。その「画家」の描く絵が他人の真似事あるいは稚拙なものだったとしても,そこに信仰が生まれることを否定することはできないはず。
なんか書いてて思ったけど,ロボットに人権を認めるか否かの話に繋がってきそうだな。
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