社会に言及する人間行動だって環境との相互作用で自発してるだけなんだよな。現在の一般的な常識的な概念体系でいっていることを解釈するのはひどく疲れる。
既に私は今の社会から確実に外れていて回帰することが極めて難しくなっていることを自覚する。
社会に言及する人間行動だって環境との相互作用で自発してるだけなんだよな。現在の一般的な常識的な概念体系でいっていることを解釈するのはひどく疲れる。
既に私は今の社会から確実に外れていて回帰することが極めて難しくなっていることを自覚する。
😬😬😬😬😬
Tofu on Fireの次に来るのはこれだ
ぽすぐれ14.4か…アップグレードしなきゃ…
というか、脳科学が進展して環境と反応の間の相互作用が明らかになったら自然に今の人間観は終焉を向かえるはずで、将来的には自由と尊厳の問題を超えるときはどうせ来るんだよな。
それまで人類が存続してるかは怪しいけど。
結論:人類は愚か
いってしまえば、世間の常識によって迫害を受けているような状況であって、こういうのを打開するっていうのは歴史的にはやられてきことだろう。
次に時代として、自由と尊厳を超えた社会ってのがあってもいいじゃないか。
で、どうもその前兆現象というか、魚道下を経由した漏出がすでに去年12月から起きていて、砕石投入と薬液注入で収まったつもりがやっぱりだめだったよ→ど派手に噴出して詰み、という流れらしく…
社会について考えるとき、結局いまの社会が地獄に見えてるかどうかってのが大きいよな。大抵の人はどうやらおどろくほど今の社会で困ってないようで、行動の原因が人の内側にあって称賛される行動も非難されるような行動も個人に帰属するっていう状態でなんら問題ないみたいなんだよな。
しかし、それが実際にはたんに環境によって振り分けられただけであって、しかも現代はある程度は環境操作によって制御可能だってことが分かってる状態にもかかわらずそういった制御はなされない。
この社会にいて、困っている人にとっては社会を変革しようという行動は十分強化されるだろうし、行動科学について知らないだけで実際には困っている人に言語的に伝えていって今の世界観をひっくり返すってことはまあ、もしかしたらできるかもしれないし、私にとってそれは強化的な行動であることは確かである。
明治用水頭首工の漏水事故の原因が、どうも矢板の入っていなかった左岸端の魚道直下でのパイピング現象だったということらしく、これがリアル脇が甘いというやつかと納得したところ。
基本的な論理を人間行動自体に適用すればほとんど自明なことにもかかわらず、人間行動に対する見方が改善しないってことに単純に腹立つってのはある気がする。まあ、実際広まってないわけだし簡単な話ではなかったってことだし実際しゃあない。
折角ワトソンが行動主義宣言してスキナーが徹底的行動主義でいわゆる意識の問題も行動として扱うことで解決したんにその成果がまったく社会に還元されてないのって残念にもほどがあるよなあ。
例えばマネジメント職は実際には仕事してないのに仕事した感じになってるし、教師も実際には仕事できてないのに仕事した感じになってるし、親も教育できてないのに教育している感じになってたりする。
行動を操作する対象に行動の選択の自由があるっていうモデルでいくと、行動の制御に失敗していることに気づけない。だって操作対象に行動を選択する自由があるんだから行動の制御に失敗しているっていうことに気づくことはありえない。そして社会もそういう見方をしていないので、改善の余地はない。終わってる。
結局のところ人間行動を科学的に見れないことに対する不満っていうのは、人間を無駄づかいするのやめませんか?ってところに集約されるんだよな。
結局これも行動がコントロールされているという風に表現するときは、罰によるコントロールのことしか見てないからネガティブな表現になるんだろうな。
実際には、どんなときでもいつも人をコントロールしてるしコントロールされている。どういう社会であろうと歯車の中には居るわけだ。
「社会の歯車」とか言うときだいたいネガティブな意味だし
ほんとよく自由の国アメリカで自由と尊厳を超えてとかいうやばすぎるタイトルの本を出版できたもんだよなあ。
この自分の"価値"に相当するのがスキナーの「自由と尊厳を超えて」に書いてある尊厳に相当するやつだ。スキナーもそれゆえに人間行動に対する科学が広まらないって分析してたんだよなあ。
強迫観念や精神の不安定によるものではなく冷徹な理性で自分の “価値” を矮小化していくの、たぶん †健全† な精神状態では難しいのかもしれませんね (適当)
「半永久的」という実用概念を考えるとき陽子の寿命による崩壊を気にしないのと同じように、人生における即物的な快楽の増大や不安の減少を “実際的に” 考慮するとき死語の社会や世界まで含めた均衡というのは一般に考慮しない、残念なことではあるが至極妥当でもあると思う
Tokyo-to
https://senooken.jp『「覚悟」とは暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだッ!』 『いきつづけたいという いし… うんめいを かえたいという つよいきもち。わたしは この ちからを… 「ケツイ」と よぶことにした。』 『不運、不幸、不ヅキ、運命、境遇、障害、不平、不正。すべてをねじ伏せオレは勝つ……!』 投資: @senooken_money 実験的にGoogle Adsense広告を設置中。
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