基本的にあらゆる仕事はなんらかの他の分野と関わって成立せざるを得ないというところがあり、現在の社会で一切不自由なソフトウェアから独立した自由ソフトウェアのみを扱うような仕事をするのはそうとう厳しいだろうな。
そういえば、知人が買った左手デバイスのドライバのライセンスがGPLv3だったのを見たときは結構感動したな。ハードウェアと密着すれば希望がないというわけではないかもしれない。
基本的にあらゆる仕事はなんらかの他の分野と関わって成立せざるを得ないというところがあり、現在の社会で一切不自由なソフトウェアから独立した自由ソフトウェアのみを扱うような仕事をするのはそうとう厳しいだろうな。
そういえば、知人が買った左手デバイスのドライバのライセンスがGPLv3だったのを見たときは結構感動したな。ハードウェアと密着すれば希望がないというわけではないかもしれない。
ソフトウェアのメンテナンスという仕事のあり方もありうるし、むしろ理想なんだけど今私がそういった職につけるか、もしくは起業できるかというリアルな問題と向きあっている。
なお、私の現状の仕事としては SaaSS の運用の支援に相当するかな。
自由ソフトウェアがいいよねーとか SaaSS (GNU の用語) 反対ーとか言いながら、収入を得るのにそういった仕事をせざるを得ないという状況は私にとっての苦痛を相当生じさせていると思う。
理想としては IT とは何ら関係のない仕事でプログラミングを使えるような立場にいることなんだろうけどな。キャリア的な問題もあるしそういうことをするのは結構難しいだろう。
あとはどうにか思想的な問題から一歩引いて IT 的な仕事の中から何らかの価値を見出すくらいしかないよなー。
この問題に虚しさを感じていて私がただの IT 部品に過ぎない感を抱いている。
何か自分にとって価値のある別の分野の専門家にもならないとなんというか虚しいんだよな。
IT だけやってるとなんらかの適用対象について学べないのが一番つらいポイントだと思ってる。IT は IT のためにあるのではなくて、 何か他の領域のために使われるわけだから IT だけを学ぶことの無意味さはもっとも強烈だと思ってる。
栃木で買ったレアな貝の化石を落してしまってちょっと焦ったんだけどプチプチに囲まれていたおかげでセーフだった。
ハトに関係フレームづけが成立したら、ハトもほとんどヒトと同じような扱いになるんだろうな。そうなったらそれはそれでもう倫理的な問題によって実験はできないだろう……。
違うわそもそも6個だし上げているのも6個で例示は完璧だった。なんだこのミス……。
あれ、7個しか上げられてない。何を忘れたんだろう……。
心理的柔軟性モデルを学んで「いまここ」「アクセプタンス」「脱フュージョン」「文脈としての自己」「コミット」「価値」の8つが足りていないのが悪い!とか言ってしまうのはよくない。足りていないのが問題であるのはそうなんだけど、そうなっていること自体に本人に問題があるわけではなくて、あくまでこれらの仮説的構成概念を使って陥いっている状況をよく理解し解決へ導くための実践が一番大切。たぶん、これは「認知の歪みの修正」も同じことだと思う。
あー、ハトにも関係フレームづけが成立するなら飛躍的に研究が進んだろうに……。
ACT が仮説的構成概念を使ってしまったことには功罪があり、功としては介入者にとってもクライアントにとっても理解しやすく使いやすく実用的であるというところ、罪は仮説的構成概念を使用しているのである種の自己批判や他者批判に陥いってしまう危険があるところ。
これはもうトレードオフだと思う。常識的な考えから抜けた視点でみるのも難しいし、関係フレーム理論は本を読んだけど行動分析学よりも難しいし、(関係フレーム理論的な意味の)言語はヒトにしか見られない事象なんで実験に倫理的な限界があってつらそう。
同じ研究者の動画ばかりであれなんだけど(それだけマイナーといえる)、大月先生がメタファーを使って良い感じに ACT について簡潔に説明している動画があるので ACT にとりあえず興味がある人にはこれがおすすめ。
一般向けなんで仮説的構成概念の否定のようなことはないし、そもそもメタファーを使った説明が機能的であること自体が関係フレーム理論の成果だったりする。
関係フレーム理論の研究の結果として、ヒトがどうも自分を苦しめる内的な言語行動によって振り回されてしまう問題があって、これから脱却するための実践的な方法として ACT が開発されている。
とはいえ、これはこれで汎用性が非常に高くでコトバとの安全な付き合い方という適用範囲がめちゃくちゃ広い話なんで、臨床分野と関係なく使えるものではある。
そこで「心理的柔軟性モデル」と ACT なんですよね。行動分析学と関係フレーム理論を学ばなくても使える心理療法が既に構築されているので、もしかすると今後は流行るかもしれない。
もちろん、環境をセッティングすることのできる立場にあるものも環境によって行動が制御されている。しかし、「行動分析学を学ぶ」という環境制御が機能するだろうとは思える。
環境をセッティングできる立場にあるものとセッティングされる立場にあるものとでは状況が違いすぎるんだ。前者こそが行動分析学を学ぶ必要があり、後者が行動分析学を学んでいてもどうしても限界がある。
一時的に常識を忘れないと行動分析学的なアプローチとれないという問題があって、常識の中にいる人に行動分析学的な介入をすることの意味を説明することがそもそも難しいという状況にあることは多いと思う。
というわけで、親、教師、マネージャーなどの行動を制御するのが重要な立場にいる人にとって行動分析学はとっても大切なんで是非知られて欲しい……。
応用行動分析学が十分に知られてもっと一般的に活用されればそもそも「うつ病」みたいな状態になる人が減っていくと思う。どうにかして広めたいんだけど、常識的な考え方に入る随伴性(行動の前後の環境)があまりに多すぎて常識が強すぎるのが辛いところだと思う。
あと、やっぱ実環境の環境制御ができない状況がありそういう場合にはスキル形成マネジメントっていう人の方を環境に合わせる方法の方が良い場合も多いしその方面でいくと行動分析学以外の療法の方が進んでいるところがあると思う(ただ、自閉症の人への介入については行動分析学が圧倒的に優勢らしいけど)。
行動分析学の基本的なアプローチは実環境側を変えるものなんで、別の環境にて行動変容を起こして実環境に汎化(実環境でも別の環境で学習した行動をできるようにする)アプローチの方が現実的な場合も多くそのアプローチについては他の臨床療法の方が優れているというケースも多いと思う。
さっきも話したように ACT の開発によって状況は変わったかもしれないけど。
シドマンが発見した刺激等価性とそこから発展した関係フレーム理論ってヒトと他の動物の間の違い(主に言葉に関係する違い)とは何かという超重要な問題について最も迫ったすごいものだと思ってる。
これについては下記の関係フレーム理論の動画がおすすめ。https://www.youtube.com/watch?v=nSWsVHtRhBU&t=19s
Tokyo-to
https://senooken.jp『「覚悟」とは暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだッ!』 『いきつづけたいという いし… うんめいを かえたいという つよいきもち。わたしは この ちからを… 「ケツイ」と よぶことにした。』 『不運、不幸、不ヅキ、運命、境遇、障害、不平、不正。すべてをねじ伏せオレは勝つ……!』 投資: @senooken_money 実験的にGoogle Adsense広告を設置中。
More details...(None)
senooken JP Social is a social network, courtesy of senooken. It runs on GNU social, version 2.0.2-beta0, available under the GNU Affero General Public License.
All senooken JP Social content and data are available under the Creative Commons Attribution 3.0 license.