優位感覚の話をしていたら維摩経に「香りで悟りに導く世界」があるという話を思い出した。
大乗仏教的には、言葉以外で悟りに導くという発想が古くからあったのだなぁ
優位感覚の話をしていたら維摩経に「香りで悟りに導く世界」があるという話を思い出した。
大乗仏教的には、言葉以外で悟りに導くという発想が古くからあったのだなぁ
アクセス制限、CWはリプライにも継承される
なんじゃぁこりゃぁ、CWにリプライすると、リプライも自動的にCWされとる!
@scivola 「他人が自分と異なるタイプで思考している」ことを知ることで、「言葉では伝わらないけど、肩に手を置くと伝わる」タイプがいると理解できるだけでも救いがあると思います。
@momosetkn 誤ふぁぼ、せつない
hidao, low skill human life.
apache with CentOS の Not found と格闘中…
なんか apache の設定が昔(※10年ほど前)よりややこしくなっている気がする…(LSH並感
#Qiita でやりたいことそのものがスクリーンショット付きで解説されている記事を見つけた。
あまりにピンポイントだったのでお礼のコメント打っておいた。
#Mastodon のおかげでリアクションもらえるとうれしいことがわかったので、積極的に感謝のコメントを残すスタイル
今日はfuelPHPの開発環境をVagrant内に仕立てて、PHPUnitに通せるまでに仕上げるのが目標
通勤定期は休日に会社の最寄り駅でしか買えないので、また明日。
「マスメンのジャバスク」、「弊社Webシステムのマスタメンテナンス画面を制御するJavaScript」を指しているらしいことに気づくのに2分かかった
部分的には言っていることが理解できる某先輩のlocaleが擬似日本に設定されているような気がしてならない
職場で「マスメンのジャバスク」と言われてピンと来なかった夏’18
Qiitadon、仕事中には見れないし、朝夕一回ずつチェックして朝イチでバッチ投稿する習慣になってしまった。
間の悪いtootばかりですまないと思っている。
休日は張り付いているけどな!
あ、おはどんです
コーチングという知識体系の中には「優位感覚」という概念が存在し、「人はそれぞれ入出力しやすい感覚が違うよね」という知見がある
「視覚」「聴覚」「体感覚」「言語」の4つあると言われ、ひとり一人が全て持っているけど、使うのが得意なチャンネルは人それぞれだよね、という考え方
たとえば視覚優位の人は入力された情報を画像として認識し、ロジックを矢印やフローチャートや図形として想起するらしい。聴覚の人は読み上げる音声や環境音と記憶を紐付けるし、対感覚の人は「グッと引きつけてバーンと放つ」とか香りやら眩しさやら気温やらで情報を認識・分別し、言語感覚の人は何でもかんでもプレーンテキスト化するようです。「最初の曲がり角にはスタバがあって、そこを右折して最初の信号をセブン側に曲がる」のように。
(0w0)b さんは優位感覚が「視覚」で、ばなないぬ師は優位感覚が「言語」なのかなぁ、と横から見てて思った次第。
Qiitadon界隈ではコーチングとかNLPとかはマイナーなのかな
> Please don't demand content
> warnings from strangers.
> Content warnings are a sort of
> social contract between an
> author and their followers
> https://qiitadon.com/web/statuses/100605286309297611
#男オイゲンからのお願いを翻訳しもした。
CW(「テキストを隠す」)を見知(みし)たん人に要求せんでたもし。CW(「テキストを隠す」)は、トゥート主とそんフォロワーとの間のおやっじょの一種です。だいかが、そん機能をどんように使用するかに納得がいかん場合は、フォローを外すごちゃっ、完全にミュートすごちゃっ、単語でミュートしっくいやい。
あたいが観察したマストドンでいっちゃんドン引いた経験の1つは、だいかの情熱をもっちょい、あるいはわがのアイデンテテーの一部じゃっこちついてだいかが投稿し、いっばんさっの反応が完全なみしたん人からの「すみもはん。CW お願いしもす」です。
あいがと
>たかが仕事じゃねえか
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」の対偶です
1社目の会社、プログラミングの能力がなくて辞めたのは事実、と以前投稿した。これは確かに事実だが、辞めた本当の理由は、業務の連絡をLINEでやり取りしていたこと。土日祝日のときもサーバの障害云々はLINE でやり取り。LINE の無料電話で連絡が来たときに、辞める決意をした。
プライベートで使うツールと仕事で使うツールは本当に棲み分けたほうがいいなと思った瞬間だった。
筋トレで筋疲労とかを意識するのと似ているのだけど、自分を機械として見て、機械の自分が反射的にその場の刺激に反応して何か考え事をしたがっている時は、とりあえずちょっと気が済むまで考え事をさせてから、本来やるべきことに戻る感じ
気持ちの散歩というか気持ちの道草というか
自分をコントロールするか、自分をマネジメントするか、という話がある
両者の違いは、端的には直接変更できるものを管理するか、直接変更できないものを管理するか
私はもはや自分のコントロールはほとんど諦めていて、簡単なマネジメントしかしていない
つまり、その場の勢いには絶対に勝てないという前提で、長期的に冷静な心を持って、なるべくそちらに”管理”していくというパターン
まっ先に言われたのが「ここで症状が良くなったとしても下界(一般社会)に戻っても、しばらくしたら元に戻るので覚悟してください」ということでした。
同じ環境に戻ったら、同じ自分に戻るから、と。
それを変えるためには自分を変えるか、環境を変えるかの二択しかなく、どちらも簡単には変えられないもの。
だから整体に来るつもりで、定期的に通い、自分と環境を少しずつ変えていくしかない、と。
悟りを開きたくて来る人はマレで、自分も環境も変えられない人が出家して寺小僧になるのだ、と言っていた。(うちの小僧も下界に戻ったら元のサヤに戻るとも言ってた)
確かに、お寺の方々を見て、お世辞にも悟りとは程遠い人が多かった。
精神科や心療内科に通ったり、大学の哲学の先生を見て思ったのは、
「あぁ、この方は人の心がわからないから勉強しているんだな」
ということ。わかる人は勉強しなくてもわかるから。
私たちは、先生や宗教の人を聖人君子と思いがち。みんな修業の身なんだな、ということを知った夏のバカンスの話し。
補足ですが、ADHDの治療で医学的にエビデンスが存在するのは親訓練、薬物治療、認知行動療法の3つだけです。このうち親訓練は児童向けなので大人向けは薬物と認知行動療法です。
岡山アイス珈琲党総帥。開発環境構築が趣味の超D級IT百姓。「Qiitadon商品開発部長」の二つ名を持つ。「人の数だけ普通・常識・当たり前が存在する」と信じるマルチスタンダード主義者。ネタはストライクゾーンギリギリを狙う。原則フォロバはしません。
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