目が覚めて、「他力本願」の誤用がどうしてこんなに引っかかかるのかようやく分かった。
本来の他力本願は要約すると「死んでも大丈夫なこと(輪廻したり、消滅したりしない)は、あなたの現世での行動とはまったく関係なく既に確定している。だから死後についてあれこれ考えて不安にならずに、思い通りにならないこの世を安心して生きていきなさい」
これに対して他力本願の誤用は「他者の力によって自分の都合通りになることを願うこと」
この二つの根本的な違いはであり、「死後に仏になることが確約されているために、一切不安になる必要はなく現世が思い通りにならずとも安心して生きることができる」という部分が、「自分の思い通りにできる」という仏教的に最悪の考えに変わってしまうところにある。
仏教は基本的に思い通りになならない人生をありのまま受け入れて生きるための宗教だ(たとえば、生老病死の問題はいくら頑張ったって自身の都合通りにはならない。都合通りにならない以上は、どうにかするよりも受け入れる方が合理的である)。
「都合通りにならない世を安心して生きる」が「都合通りになる」に変わるのが最悪なんだ。