くっそ、Wikipedia の循環論法の例見たんだけど、どれも一般的に使える感じじゃないな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95
くっそ、Wikipedia の循環論法の例見たんだけど、どれも一般的に使える感じじゃないな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95
他に循環論の象徴みたいなやつないかな。
ただあの人は循環論がどういうものかを説明するのに便利なんだよなあ。
そういう使い方をすると特定の政治家を広告することになるんで避けるか。
実際のところ扱き下ろしているようで実際には知名度を上げているから悪い目にはあってない。
たしかにな。無視した方が良い情報に食いつきまくってる感はある。
KDE の Akademy2022 の参加募集の画像が面白い。
小泉進次郎さんのことを笑える人は少ない
ただ他の対象に対して普通に使ってる三段論法とかの基礎的な論理を人間行動に適用するだけでだいたい理解できるのでハードルは低いはずだし誰にもわかると思いきやそんなことはない。多くの人は人間行動の原因ついて言及すると簡単に循環論にはまる。
釈迦の智慧を借りたい。やっぱり徹底的に論破して相手の主張を潰すんじゃだめなんだよ。しかし、一歩でも譲ったら崩壊するので何も譲ることはできない。何かいい方便があればいいんだ……。
アリストテレスは物体を擬人化し、物体が落下する原因を地球の中心という本来の位置に向かう意志があるためと考えた。ニュートン力学の時点でそのような見方は失われ、物体は他の物体との相互作用によって運動すると見方が変わった。
それに対して、未だに人々はヒトを擬人化し行動の原因を意志に求めている。これをやめるときはいつくるのだろうか。
まったくその通りであり徹底的行動主義は熾烈な攻撃を受け続け、かつては心理学の主流になってもおかしくなかったのが現在はかなり小規模な分野になった。
傾向を持ってランダムに動く機械を人間と対等に見ないことを考えると、予測不可能性そのものは人間性の中核ではない気がする。予測不可能性の原因であるブラックボックス性の方がたぶん利いている
これで少し思ったのが、機械を褒めず人間を褒めるメカニズムがこれと近いものだとすれば、人間を人間として認識するアルゴリズムの中核にブラックボックス性がある可能性があるのかなと
少なくとも嫌悪刺激によるコントロールは減るはずなので、相当な社会へのメリットはあると思う。
行動分析学が流行ることの懸念点
・アンチコントロールは本当にできるのか?
例: 行動分析学を駆使したスマホのガチャシステムがあるとする。これの依存状態から脱却するには行動分析学が有用だと思うけど、全員が行動分析学を学ぶのは現実的か?
・アンチコントロールができるとすればコントロールに失敗する場合がないか?
アンチコントロールされるようなコントロールは何らかの形で当人にとって嫌悪的でありアンチコントロールできることは正当化される?
明らかに良いと思われる点
・技能の習得にかかる時間が短縮される
・罰を使用した技能習得の指導がなくなる
・才能や努力ややる気が必要とされていたことが、実現しやすくなる
・行動傾向を根拠にしたレッテル貼りが減る可能性がある
他にも思いつきそうだけどちょっと忙しいのでここでやめる。
結構考えてしまった。
スキナーの言うような「罰なき社会」に行き着けばいいと思ったけどそうなる保証はない。
罰なき社会
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjba/5/2/5_KJ00001021402/_article/-char/ja/
あとやばいのは「努力」とかも行動の原因とみなされなくなることあたりかな。世の中って「才能」と「努力」でものを語ることが多い。その中で、環境要因で行動の原因を説明されてまうとそういったものが架空のものであったことが明らかになってしまう。
この問題を超えないと行動分析学を広げるのは難しいんじゃないかと思ってる。
とはいえ、「努力」の実現のために行動分析学を使うみたいな感じにして一般的な考え方に寄り添って広げていくっていうのも全然ありだとは思う。
この話、実は割と現代の価値観にとって破滅的なことをいっていて、将来あらゆる行動の原因を明らかにできるようになったとき、いわゆる「才能」と呼ばれるようなものは失なわれる。何故なら行動の原因は明らかになっていて再現することが可能になっているから。
もちろん、遺伝的な要因等が影響する可能性は否定しない。といっても遺伝的な要因であることを示すのは環境要因であることを示すのと比べると難しい場合が多いだろう。実験が難しいからね。
また、別に本人が本当に行動の原因について知らない場合でも原因が分かる場合と比べて強化される。
どちらもそれが悪いというわけではないけど、行動分析学を普及させるにあたっては障壁になるので困る。
何故なら行動の原因を明らかにしてしまうと、行動の原因が分からないことが理由になって褒められていたのが褒められなくなってしまうため。
この問題を解消するには、行動の原因がはたからみても明らかであるような場合でも、それを当然のこととして流すのではなくて褒めるようにする必要があるだろう。
どうせ誰もこれにリプライしようとしているということはないだろうということで一分くらい経過してからの削除して編集をしました。
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