下記の調査にて、ダーウィンの時点ではまだ擬人主義は廃せていないことがわかったため、「ダーウィンが来た!」の中で擬人主義的な説明があっても、「ダーウィンが去った!」の間違いではないかと批判するのには筋が通っていないことが分かりました。
Timeline for it list by senooken, page 88
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 01:33:48 JST
きゅーけー
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 01:31:13 JST
きゅーけー
『動物に「心」は必要か 擬人主義に立ち向かう(東京大学出版会)』の p.43 で> ダーウィンは擬人主義だったのだろうか。彼は動物の中に人間の原始的な心的機能を見ると同時に、人間の中に動物と同じような心的機能を見る。つまり、擬人主義と疑動物主義の両面を持っている。何故か?彼の当面の敵はデカルト主義者だったのである。つまり、彼らに抗して、ヒトー動物の連続性を示すことこそが急務だったのである。そして、ダーウィンによって、現代まで続くデカルト主義者との戦いが始められたのである。
とあり、その後の解説にてダーウィンはデカルト主義に対して対抗し、進化論を打ち立てるところまではいったけど、ダーウィンが擬人主義を廃せていたわけではないことが分かるな。なるほど、それでは動物に対して擬人主義的な解釈をしているのを見て「ダーウィンが去った!」の間違いではないかとか言って批判するのは正当とは言えないな……。心理学において擬人主義を否定する立場がでてくるまでにはまだ時間がかかる。
あと、書籍から引用するときタイプミスしていないか不安で緊張が走る……。10回くらい確認したんだけどまだ不安だ……。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 01:08:56 JST
きゅーけー
擬人主義を徹底的に批判する『動物に「心」は必要か 擬人主義に立ち向かう(東京大学出版会)』の p.42 で人気テレビ番組として「ダーウィンが来た!」という番組が存在することについて言及しているけど、その番組が擬人主義に溢れていることについては特に触れていなかった。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 01:03:58 JST
きゅーけー
うん、行動分析学に関心のある人のうちに NHK の「ダーウィンが来た!」に対してタイトルを揶揄するような煽りをする人がいまのところ私以外にいないというだけかな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 01:00:43 JST
きゅーけー
同じ意味で「ダーウィンは去った」を言っている人はいなそう。https://twitter.com/search?q=%22%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AF%E5%8E%BB%E3%81%A3%E3%81%9F!%22&src=typed_query&f=top
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 00:59:16 JST
きゅーけー
「ダーウィンが来た!」で擬人表現されていることについて、「ダーウィンは去った!」とか「ダーウィンは死んだ!」とかそういう表現がとても機能すると思うんだけど、そういうことを言っている人はどうも観測できないな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 00:57:36 JST
きゅーけー
下記でも擬人的な説明をディスってるな。
じぶん更新日記http://www.hasep.sakura.ne.jp/19/08/24.htm> 以上の論議との関係で、いつも気になっているのが、NHKで放送されているダーウィンが来た!における説明である。時たま「この親は、こうなることを知っていた」といった擬人的な説明、あるいは、「この行動にはこういう意義がある」といった目的論的な説明で締めくくられることがあるが、上記のようにこうした説明は科学的とは言えない。かといって、詩的描写を目ざしているわけでもあるまい。擬人的、目的論的説明と科学的説明が混在するという中途半端な解釈がまかり通っていることが、今回の抱卵行動の説明に対する「衝撃的反応」や「批判の声」に繋がっているようにも思える。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Tuesday, 04-Jan-2022 00:54:31 JST
きゅーけー
長谷川先生(今は定年されて隠居され、行動分析学の研究からは身を引いている模様)も「ダーウィンが来た!」への言及をよくしているので日記を探したところやはりあった。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:27:26 JST
きゅーけー
「ダーウィンが来た!」とか動物の行動の原因についてめっちゃ仮説的構成概念を使ってくるからな。「ダーウィンが去った!」の間違いではないだろうか。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:25:51 JST
きゅーけー
そもそも「40億年のたくらみ」とかいう詩的表現をしているのでそこにつっこむのは野暮な感じはするんだけど、この進化論の誤解は、行動の考え方にも直結するものなんであんまり無視できない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:24:27 JST
きゅーけー
NHK も誤解を招きそうな表現をする。まるでヒトがそのような目的を持って進化したかのような表現がなされている。「毛を捨てた」のはヒトが目的を持ってそうしたのではなくて、環境側が「毛を捨てさせた」のである。
「“体毛” 毛を捨てたサル」 - ヒューマニエンス 40億年のたくらみ - NHKhttps://www.nhk.jp/p/ts/X4VK5R2LR1/episode/te/GNV9LPVLG3/
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:20:36 JST
きゅーけー
そもそも進化論自体が目的論的な見方をされてしまいがちなところがある(例: キリンは高い木の実を食べるために首が長くなった)ので、行動分析学は動物の行動に対しても進化論と同じように捉えると言っても正しく伝わらない可能性が高い……。
補足キリンの例の目的論でない考え方について:キリンは目的を持って首を長くしたわけではなく、突然変異によって首の長い個体が生まれその生息地において首の長い個体の方が生き残りやすかったため首の長い個体が子孫を残す可能性が高く結果として首が長くなったと考える
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:07:55 JST
きゅーけー
私の誤字はなんか明らかなやつが多いと思うんで日本語でも自動的な指摘が可能な気がする。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:07:06 JST
きゅーけー
投稿する直前に自動校閲する機能が欲しくなってきた。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:05:46 JST
きゅーけー
いま誤字脱字頻度が上がっている気がする……。そもそもカウントが正しくできていないかもしれんけど。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 23:04:45 JST
きゅーけー
野生の行動分析学的な発想だ。行動分析学は進化論の自然淘汰を、動物の行動にも適用したようなものなんだよな。選択というとちょっと擬人化されすぎている感があるけど、オペラント行動は環境によって自然選択されているとえる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 22:52:51 JST
きゅーけー
ここで「テレビが壊れてイライラしたらテレビを叩いてみたら直ったからテレビを叩くようになった」というような表現はしないのが行動分析学である。
行動分析学では消去を受けた個体が攻撃的な行動を自発しやすくなることを既に実験的に確認しているので、それを「消去によって攻撃的な行動の自発頻度が増加している」というように言う。「イライラしたから」とかは勝手に言わない。
ただし、テレビを叩いた本人が「イライラしたんだよ!」って言ったなら、私的出来事上で「ああー、イライラする」などの言語行動や「イライラした感じ」のような事象があった可能性を推察することはできる。客観的に確信は持てないけど、徹底的行動主義は私的出来事での事象を無視する立場ではないので重要なポイントではある。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 22:46:45 JST
きゅーけー
行動分析学は仮説的構成概念を使用しないので人間味のない学問だと誤解されやすいんだけど、実際には今の社会に蔓延っている罰による行動制御はやめて、別のより倫理的な方法を使うようにしようぜ!っていう思想が入っているので十分人間味があると言って差し支えないと思う。
ただ、その別のより倫理的な方法が「罰による行動制御からの自由」ではなくて、別の「倫理的な方法に基づく行動制御」であるところが決定的に現代社会における「自由が大切」の思想と異なる部分である。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 22:29:08 JST
きゅーけー
> 消去は弱化と比べれば圧倒的にマシな方法です。
上記のように記載してしまいましたが、正確には「正の弱化」よりは「消去」の方がマシが正しいです。「負の弱化」は苦痛刺激を用いないので「正の弱化」よりかはマシな方法といえます。「負の弱化」と「消去」のどちらが倫理的にマシかについては私の知識では判断できないんですが、「消去」よりも「負の弱化」の方が利用しやすいのは確かだと思います。
行動の制御においてとくに問題とされるのは「正の弱化(嫌子出現による弱化)」と「負の強化(嫌子消失による強化)」です。
上記を見ると分かるように、好子/嫌子の用語を使った方がスキナーの思想や体罰に反対するような思想を理解しやすいんですよね……。嫌子は大抵の場合は苦痛刺激ですし、用語の見た目の印象としてそれほど誤ってはいません。下記で言及した通り、好子/嫌子は「好」と「嫌」という語が入っているために意味が誤解されやすいという指摘があり、今は主流でなくなっているようなんですが……。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Monday, 03-Jan-2022 21:55:20 JST
きゅーけー
@cmplstofB すみません『「体罰」に反対する表明』ではなく『「体罰」に反対する声明』でした……。