行動分析学がやっているのは行動と環境との間の相互作用の解明であり、これは人の仕様書を導くようなものであって実装がどうなっているのかを調べるものではない。
Notices by きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo), page 111
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:24:24 JST
きゅーけー
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:23:08 JST
きゅーけー
行動分析学は環境と行動との相互作用しかみないので、記憶とか脳の活動を仮定することなく行動について分析できるので強い。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:16:27 JST
きゅーけー
@skoji はい、外から見ればその主張自体はそのとおりだと思います。私のいった「私」の交換は「クオリア」の交換としてとってもらえるとありがたいです。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:13:32 JST
きゅーけー
@skoji 私の思考実験はただたんに「生まれの条件」と「それまでの経験」の他に独立して行動を決定可能な因子が存在するかどうかを考えて、結局のところは感覚的に否定したものに過ぎないため、自由意志がないことを証明したといえるわけではないという指摘は受け入れざるを得ません。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:10:26 JST
きゅーけー
@skoji 仮定の話なので仮定を否定された場合は常に真なので原理的に不可能といわれても少し困りますね……。
たしかに、自由意志を否定する根拠としては弱いかもしれませんね。そもそも自由意志とは何かが明確になっていないのが問題かもしれません。個体発生時の条件(生まれ)とそれまでに個体が歩んだ全ての経験から独立して行動を決定することが可能な場合に「自由意志がある」と言ってよいものだと考えています。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:05:45 JST
きゅーけー
下記の投稿が思考実験の結論の要約となります。https://mastodon.tojo.tokyo/@tojoqk/107456016432548216
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:04:27 JST
きゅーけー
@skoji いえ、現実に「私」の交換ができないと主張しているのではなくて、交換が実際にできたとしても外からみて行動は一切変化しないだろうということを主張しています。あくまで思考実験なので現実に「私」の交換が可能かという話はしていません。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:58:09 JST
きゅーけー
「私があなたの立場であったら異なる行動をする」などという主張は実は成立しえない。完全に「あなた」の立場であったなら全く同じことをしているはずだからだ。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:54:26 JST
きゅーけー
私が自由意志を否定するきっかけとなった思考実験があって、「もし別の人と意識を完全に交換した場合に何がおこるのか」という問題を考えたのが大きかった。
交換するものは、「私」という感覚のみでそれぞれの記憶や考え方は一切交換しないとする。その場合に外顕的な行動に変化が生じるかどうかを検討した。その結果、私は記憶や考え方が一切交換されずに「私」という感覚のみが交換されたのであればそれによって何も行動は変化しないだろうと考えた。
それが意味することは「私」という感覚そのものには行動を制御する機能はないという結論でありこれによって自由意志に対する信念が消え去っていった。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:47:23 JST
きゅーけー
行動分析学の理論はシンプルで綺麗で簡潔で美しいんだよな。
でも、いままでに私が経験的に獲得した悲しい現実としては、どうやらシンプルで綺麗で簡潔な理論って一般に理解が難しいみたいなのがな……。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:45:46 JST
きゅーけー
これは企業でも同様って思ったけど、当然事例によるけど企業については管理対象が十分に少なければ随伴性マネジメントができそうだな。子供の苦しみを取り除くことはちょっと厳しそうだけど、働く世代が苦しむのを止めるのは実は可能なのではないかという気がしてきた。
まあ、行動分析学を学ぶのがあまりに難しすぎるんだけど。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:41:14 JST
きゅーけー
もしも、行動分析学をうまく使って学校教育を実現する場合、おそらく現状のままだと教員の数が不足すると思う。一人の教員がみないといけない生徒の数が多すぎる。
行動分析学が知られていたとしても人的資源が十分でないと意味がない。いやまあ知られていないよりかはマシだろうけど、今の状況で教師が行動分析学を学んでも制御しないといけない対象が多すぎて実質的に適用できなくなると思う。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:35:15 JST
きゅーけー
現代は人の行動の理由として、素朴な仮説的構成概念を使って説明するので、環境操作によって行動を変容させられることを多くの人が知らないという状況にある。
で、普及したあとに人が行動分析学を使えるかどうかは資源に十分な余裕があるかどうかに起因してくるように思える。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:32:39 JST
きゅーけー
段階として現代ではそもそも行動の科学が普及していないわけだけど、普及したとして人類は行動の科学を適切に扱えるのか疑問なところがある。
キーとなるのは親と教師と企業におけるマネージャーにある立場にあるものが、行動分析学を学んでいた場合はある程度効果がありそうに見える。
行動分析学を使うための最大の問題として人的かつ費用的なコストがかかり、自身、もくは他者の行動の制御のために十分なコストを支払えるのかというところに課題がありそう。これを乗り越えないと行動分析学が普及しても事実上使えない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:25:56 JST
きゅーけー
締め切りのために行動しているとき、常に負の強化の随伴性が働いているようにみえる。
これを、正の強化の随伴性に切り替えるのはあまりに難しいよな。そもそも締切に終われるということ自体が正の強化の随伴性によっていなかったために行動の頻度が低い状態にあったことが原因である可能性があり、そこをなんとかできればまあいいのかもしれないけど。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:22:24 JST
きゅーけー
一度に言いたいことが多くなりがちなんだよな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:20:08 JST
きゅーけー
Twitter じゃなくて Mastodon を付かう理由、思想的なものではなくて字数制限によるものな気がしてきた。Twitter だと字数の制限がきつ過ぎて言いたいことを一つの投稿として言えない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:17:32 JST
きゅーけー
人が働きたくないと思うとき、負の強化の随伴性によって行動が維持されている。
人が働きたくて働いていると思うとき、正の強化の随伴性によって行動が維持されている。
こういった感覚は実は環境の問題であって気持ちの問題ではない。
後者でうまく働ければ良いと思うが、簡単ではなさそうなんだよな。
ACT では行動分析学や関係フレーム理論を隠して(多くの人にとって理解不能なため)、心理的柔軟性モデルを確立したみたいなんだけど、その説明を受けて「価値」(目的ではなくて方向性みたいなもの)が最も私にとって難しい問題に感じるんだよな。
行動分析学に戻して考えれば「価値」に相当するのは、行動内在性強化子に相当するもので、「それをする」こと自体が正の強化子として機能するようなもので、そういった行動を言語化できれば「価値」のスキルがある状態になるわけなんだけど、正直思い当たるものがなくていまのところ心理的柔軟性モデルを使いこなせそうにない。
価値のスキルが低い場合は、心理的柔軟性モデルにおける気づく系のスキルを伸ばす必要があるとかいう話なんだけど本当に何か見つけられるのか謎い。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 18:01:17 JST
きゅーけー
Guix でプログラミング言語のパッケージマネージメントすると理想に近づいている感がある。個人的には GNU が好きなんで Nix よりも Guix が流行って欲しい。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 10:43:21 JST
きゅーけー
ここ最近、炊飯するのが面倒で野菜と肉と茸とにんにくを放り込んで蒸したやつを作るのが楽なので、昼食については糖質制限する気はないのに自動的に糖質制限した状態になっている。