行動分析学の用語混乱問題、下記動画のところで綺麗に説明されているので行動分析学の用語で混乱している人にはおすすめ。https://youtu.be/rpVhx4FMoXw?t=553
Timeline for it list by senooken, page 118
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 14:25:46 JST
きゅーけー
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 14:15:19 JST
きゅーけー
同時に認知の歪みの修正とかそんな感じの仮説的構成概念を排除してない理論(?)を基盤としたやつも受けることにもなりそうなんだけど、まあ統計的にうまくいくことがよくあると分かってるらしいし自分がはずれ値にはいないと想定して気にせず受けることにしようと思う。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 14:10:05 JST
きゅーけー
基盤となる関係フレーム理論を学ぶこともまあ重要だろうけど、私にはまずクライアントとしての立場があって 理論よりも ACT の実践の方が優先度の方が高いんだよな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 14:07:49 JST
きゅーけー
成長を価値としている人は、現在の資本主義社会への適合度めっちゃ高いよなー。とりあえず自分にとっての価値はよく分からんのでまず価値探しをしないといけないのが最大の問題なんだけど ACT で言っていることが本当ならなんか「いまここ」と「文脈としての自己」を確立していくことで価値もなんか見つけられるらしいんだよな。
とりあえず、この二つのエクササイズはやっていこうと思う。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 14:04:04 JST
きゅーけー
はたらく with ACT が実現できれば、そうとうイキイキとした人生が送れそうなんで ACT についてはなんとか体得したい。https://www.youtube.com/watch?v=Whi2rGCwLdg
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 13:56:41 JST
きゅーけー
ヘッドホンを付けないと鳥とハトの声があんま聞こえないのでこれやるときはヘッドホン付けてる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Friday, 17-Dec-2021 13:55:45 JST
きゅーけー
この鬼滅の刃に影響を受けたっぽい ACT のエクササイズを一日一回やることにしている。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 23:12:24 JST
きゅーけー
にしても有理数が実数上で稠密なの衝撃的なんだけど。数学の民の人にとってはこれ常識なんだろうか。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 23:07:10 JST
きゅーけー
数学の区間、Lisp に慣れすぎて括弧の対応が適切でないのを見ると少し混乱する。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 21:31:49 JST
きゅーけー
@skoji 「クオリアは存在しない」の意が「クオリアは実在しない」であれば私と同じ考えだと言えると思います。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 21:27:11 JST
きゅーけー
@skoji たしかにクオリアの「交換」について話をしましたが、クオリアが幻想のようなものであるという主張については私も同意しています(ただし、私は「存在しない」とは考えていません、また「存在する」とも考えていません、私との関係においてクオリアなるものが相依って成立しているのであり独立して存在しているとはいえないという立場です、よって今の私はクオリアの交換は原理的に不可能という考えに同意していることになります)。そもそもクオリアの交換について考えたのは中学生の頃の話なんで、今の考えは既に当時から変わっていて現在はクオリアの有無について考えること自体が不毛であると考えてます。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 21:13:25 JST
きゅーけー
龍樹読んだし、その内容にも同意できるんで中観派と自称したい気分でいるが、色んなものに対して有るでもないし無いでもないとか言っていると変な人だと思われそうなのであまり主張できない。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:44:42 JST
きゅーけー
佐藤方哉先生の「自覚せざる仏教徒としてのスキナー : 随伴性とは縁である」を見たのはもしかすると仏教に触れるきっかけだったかもしれない。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjba/5/2/5_KJ00001021403/_article/-char/ja/
この文書中に「ナーガールジュナ」(龍樹のこと)が出てくるんだけど『龍樹』(講談社学術文庫)を読んでその意を汲み取れるような気がする。龍樹は縁起から無自性、無自性から空を説いた。それが意味することは全ての法(概念を含むもの全てのこと)は相依って成立していて何からも独立して有るものなどありえないということだった。
スキナーも個体の行動について個体そのものに行動の原因を求めず行動の前後の環境に行動の原因を求め、個体の中に独立した行動の原因が存在するということを否定した。
ということでたしかに主張していることが似ている。違うのは龍樹の主張の適用範囲がめちゃくちゃ広いというところと、スキナーが作ったのは行動の科学であり実際に行動の制御のために利用可能ということだろうな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:30:47 JST
きゅーけー
どこで学んだのか忘れたんだけど、行動分析学で仮説的構成概念として除去される対象に「記憶」が含まれていたのを見たときには結構感動した。「記憶」はあまりに自然すぎて仮説的構成概念であることに気づかなかった。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:27:59 JST
きゅーけー
正の強化の随伴性に制御された行動を増やすというスキナーの理想の実現のためにも、自由ソフトウェアは必要なものではないかと考えている。
ユーザーにとってはソフトウェアは環境なわけで、ソフトウェアの変更が禁じられている状況はユーザーによるユーザー自身の行動の制御を禁じることに相当する。GNU も不自由なソフトウェアはユーザーを支配と言っているけど行動分析学を学べばこの状況を正確に表現できると思うんだよな。
とはいえ、この状況を正確に表現してしまうとその説明を理解できる人が行動分析学を学んだ人に限られてしまう問題がありさあどうしようという感じなんだが……。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:16:23 JST
きゅーけー
まあここで不自由なソフトウェアについてコメントをするのは話の流れ的にあまりに筋違いなんで何もコメントはしないが。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:14:30 JST
きゅーけー
CBS チャンネルの下記の動画で ACT だけではなくてその基盤の理論を学ぶことの価値についてプログラミングとアプリケーションの関係を対照にして「プログラミングができればアプリケーションの方も変更できて応用が効きますよね?それと同じように ACT の基盤となる理論を学ぶことで柔軟に ACT が利用できるようになるのです」みたいなことを主張してるんだけど現実は不自由なソフトウェアが跋扈しているんでそんなこともないんだよなーという気持ちになる。
そういう意味でいうと ACT は変更が禁じられていないわけなんで自由ソフトウェアに相当するんだろうな。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 20:04:54 JST
きゅーけー
ここまで自由意志を否定してきたわけだけど実は自由意志を否定することこそが、自由ソフトウェアが重要である根拠となると考えている。
個体は環境によるコントロールから逃がれられず常に行動の前後の環境によって行動が制御されているとする。
ソフトウェアは個体にとっては環境である。個体の入力行動に対してソフトウェアは何らかの結果を出力する。ソフトウェアとの個体の関係に問題が生じたとき、「個体そのもの」を操作することはできない。できることは環境操作のみである。
このとき環境側であるソフトウェアを変更できないという状況は極めて問題があるように思える。行動分析学では個体に合わせて環境を制御することで個体の行動を制御する。
人が幸福もしくは「したいことをしている」と感じているときは専門用語でいうと正の強化による行動随伴性によって制御されているときである。そうでない状態からこの状態に持っていくには行動に関連する環境を制御する必要がある。
しかし、不自由なソフトウェアは個体にとっての環境であるソフトウェアの改変を禁じる。これは個体の行動を制御の可能性を消失させることであり問題があるといえる。
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:31:14 JST
きゅーけー
「自由に行動を決定していると感じる」ことがあるが、もしかすると実際には行動の決定は何からも自由ではないかもしれないという可能性に気づき、そうではない場合を表現するために「自由意志がある」という言葉ができたんじゃないかと思う。(ただの推測であり調査したわけではない)
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きゅーけー (tojoqk@mastodon.tojo.tokyo)'s status on Thursday, 16-Dec-2021 19:24:24 JST
きゅーけー
行動分析学がやっているのは行動と環境との間の相互作用の解明であり、これは人の仕様書を導くようなものであって実装がどうなっているのかを調べるものではない。